【試し読み】西加奈子長篇作品『夜が明ける』④

【試し読み】西加奈子長篇作品『夜が明ける』

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 15歳の時、高校で「俺」は身長191センチのアキと出会った。 普通の家庭で育った「俺」と、母親にネグレクトされていた吃音のアキは、 共有できることなんて何一つないのに、互いにかけがえのない存在になっていった。大学卒業後、「俺」はテレビ制作会社に就職し、アキは劇団に所属する。しかし、焦がれて飛び込んだ世界は理不尽に満ちていて、少しずつ、俺たちの心と身体は壊れていった…。
 思春期から33歳になるまでの二人の友情と成長を描きながら、 人間の哀しさや弱さ、そして生きていくことの奇跡を描く、西加奈子さんの感動作です。

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 その年の体育祭で、一番忙しかったのは間違いなくアキだろう。
 まず、希望者の中からくじ引きで決めるはずの応援団に、アキは自動的に任命されていた。しかも2年生で応援団長だ(つまりアキは、3年生からも認められていたということだ)。
 縦割りで決まった我ら白団の応援団長になったアキは、俺たちが卒業生に頼んで手に入れた長ランとボンタンを身につけ、マケライネン的角刈りの頭に、白のはちまきを巻いていた。そして、それだけで許された。
 つまりアキは、応援団長がやるべき「フレー! フレー!」の声がけも、団員を仕切ることもすべて免除された。そもそも大声を出すことなんて出来なかったからだし(アキはマケライネンと同じような小さな、低いしゃがれ声だった)、誰かを「仕切る」ことは言うまでもなく不可能だったからだ。アキはお飾りの団長だった。でも、黙って立っているだけで迫力があった。誰かがふざけて、アキの体に入れ墨のペイントをしたものだから、アキの迫力はますます増した。
 アキはひっぱりだこだった。リレーではアンカーをつとめ(アキは驚くほど足が速かった)、騎馬戦では大将をつとめ(アキの体重を支えられる騎馬は柔道部の連中だけだった)、創作ダンスではセンターで謎のダンスを踊らされた(未知の動物がパニックになって暴れているみたいに見えた)。
 白眉は借り物競走だ。生徒会がふざけて作った「借り物」は、すべてがアキだった。つまり、『目の悪い大きな人』『上半身裸の大きな人』『変な笑い方をする大きな人』といった具合だ。アキは当然、皆から取り合いになった。アキは目を細めて走り、上半身裸になって走り、あの気色の悪い笑顔を見せながら走った。もう秋の気配がしていたのに、アキはずっと汗だくだった。
 アキの忙しさは、体育祭に留まらなかった(体育祭が終わったら、すぐに文化祭がやってくるのだ!)。
 アキはそこでもフル回転だった。クラスの演劇で頭のおかしな教師役をやっただけでなく、杉本が作ったコントで、4組が開いたお化け屋敷で、部活の壁を越えて元木が組んだバンドで、アキはコンビニエンスストア店員になり、フランケンシュタインの怪物になり、楽器を何も演奏しないバンマスになった(そしてどの場所でも皆の爆笑をさらっていた)。後夜祭のキャンプファイヤーでは全身を白く塗られて踊り狂い、翌日の清掃でも背中にゴミを入れるかごを背負わされ、あらゆる場所を駆け回った。
「アキ!」
「アキ!」
 みんな、アキと写真を撮りたがった。男子生徒も、女子生徒も、教師たちもだ。あまりの人気で、後夜祭ではアキと写真を撮りたい人間たちが、長蛇の列を作るほどだった。
 アキと写った写真を、俺も持っている。
 渡り廊下の柵にもたれて、俺はアキの肩に手を回している。ストライプのコンビニ店員の服を着ているから、コントの後だろう(杉本が作ったコントは正直見られたものではなかったが、アキのおかげで伝説に残る演目になった)。
 アキはあの、妖怪みたいな笑顔を見せている。その年、間違いなく学校で一番の人気者だった、アキの上気した顔。アキのその顔は、みんなの写真に残っているだろう。いろんな格好をしたアキが、たくさんの人間の家に、存在し続けているはずだ。
 でも、アキがあのときどんな生活をしていたのか、どんな人生を歩んでいたのかは、誰も知らなかった。