NHK「日曜美術館」ほかで紹介、話題沸騰中! 25歳で急逝した「21世紀の天才画家」の魅力

『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』刊行記念特集

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画家・中園孔二を追って

藝大在学時より著名なキュレーターに作品が買い上げられ、卒業後には村上隆、奈良美智らを世に送り出した小山登美夫ギャラリーで二度の個展を開催…輝かしいキャリアを積み上げながら25歳で急逝した画家・中園孔二。その彼に迫り、評伝を上梓したノンフィクションライターの村岡俊也によれば、その画業に比肩するくらい、中園の生涯もまた芸術作品のようにエヴァーグリーンの輝きと魅力に充ちていた。(本文/村岡俊也)

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「無題」2007年 油彩、キャンパス 72.5×60.5㎝ 個人蔵 ©Koji Nakazono, Nakazono Family ; courtesy Tomio Koyama Gallery
「無題」2007年 油彩、キャンパス 72.5×60.5㎝ 個人蔵 ©Koji Nakazono, Nakazono Family ; courtesy Tomio Koyama Gallery

 2018年夏、横須賀美術館で行われていた〈中園孔二なかぞのこうじ展 外縁―見てみたかった景色〉で、中園の絵を初めて観た。50点近い作品が並んでいたはずだが、どんな絵だったのかはほとんど記憶になく、「まるで子どもの絵じゃないか」という感想を抱いた。現代美術を熱心に追いかけているわけではない私には、「よくわからない」という感触だけが残り、それなのに展示に合わせて発売された画集を買い、度々、ページをめくっていた。
 友人のイラストレーターである横山寛多よこやまかんたが家に遊びに来た時に、そう話したのだと思う。横山は、鎌倉の駅前にあった美大予備校に中園が通っていた時に講師をしていたという。私が生まれ育った町のすぐ近くに中園が暮らし、生活圏が近かったことを知り、ますます興味を惹かれた。
 2年ほど経った頃に、横山からまた中園の話をされた。美大予備校の教え子たち、あるいは偶然に知り合った中園の同級生から彼の思い出話を聞かされ、そのどれもが胸に迫る「良い話だった」という。横山は、それらが人知れず消えてしまうのがもったいないと「一緒に話を聞いて、まとめませんか?」と私を誘った。「やろう」と即答し、ご両親に連絡をして、母の信子のぶこさんと一緒に墓参に行った。
 私の「わからない」と、横山の「残したい」から始まった中園を知る方々への取材は、およそ3年近く続き、今年8月『穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って』を上梓した。

「無題」 2013年 油彩、カンヴァス 227.5×227.5㎝ sasanao蔵 Photo by Naohiro Tsutsuguchi(Shinchosha) 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館「中園孔二 ソウルメイト」展示風景
「無題」 2013年 油彩、カンヴァス 227.5×227.5㎝ sasanao蔵 Photo by Naohiro Tsutsuguchi(Shinchosha) 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館「中園孔二 ソウルメイト」展示風景

 中園は、鎌倉と山を挟んだ隣町にある横浜市金沢区で生まれ育ち、高校2年生で親しんでいたバスケットボールの部活を突然やめ、絵を描き始める。現役で東京藝大に入学し、3年時にはキュレーターであり現在は金沢21世紀美術館の館長を務める長谷川祐子はせがわゆうこに作品が買われるなど、その才能を開花させていった。大学院には進まず、北松戸、大宮と拠点を移しながら制作を行い、現代アートの著名なギャラリーである小山登美夫こやまとみおギャラリーで2度の個展を開き、順調に画家としてのキャリアを積み上げていた。2014年暮れに香川県高松市へと移住したが、2015年の夏、25歳の若さで、瀬戸内海で命を落としてしまう。
 こう書いてしまえば、中園は紛れもない夭逝の天才であり、伝説の画家としてその評価はさらに高まっていくものと思われる。けれど、私が「わからない」と思い、友人知人への取材を通して「わかった」ことは、独特のリズムで生と向き合いながら、時に苦悩しつつ生きた若者の、より具体的な人物像だ。亡くなってまだ数年というタイミングは、故人の思い出話を見ず知らずの他人に気軽にできるほど月日の洗礼を受けていない。そのおかげで彼の記憶はそれぞれの中で鮮明で、まるで不在の中園を囲むようにして思い出や過ごした時間を共有させてもらった。このタイミングでしか聞くことのできなかったであろう話ばかりだった。

「ポスト人間」2007年 墨、和紙 212.0×151.0㎝ 東京都現代美術館蔵 Photo by Naohiro Tsutsuguchi(Shinchosha) 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館「中園孔二 ソウルメイト」展示風景
「ポスト人間」2007年 墨、和紙 212.0×151.0㎝ 東京都現代美術館蔵 Photo by Naohiro Tsutsuguchi(Shinchosha) 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館「中園孔二 ソウルメイト」展示風景

 夜の山をほとんど遭難しながら歩き、都心のビルの屋上に忍び込んで眠る。突飛とも思える行動は、中園にとっては日常的な所作であり、「知覚のスピードがものすごく速くて、隣にいると僕もそれを体験できる」と、中園の少し年上の同期生である稲田禎洋いなだよしひろは教えてくれた。「だから一緒にいると何かいいことが起きるんです」と。
 中園はドローイングや日記のように日々の思考を書きつけた150冊以上のノートを遺している。それらを読み解き、友人知人から話を聞くうちに、中園が描いた絵に対する私の見方も少しずつ変わっていった。彼の絵は「わかる/わからない」と判断するようなものではなく、ただ、まっすぐ対峙するかどうかが重要だと考えるようになった。中園が出会ったものを辿るうちに、それぞれの時期に抱えていた問題や思考の深さが、そのまま絵となって現れていることがわかったからだ。中園のノートには、絵は「自分自身の片方である」と記されている。

村岡俊也氏(photo by Tetsuya Ito)
村岡俊也氏(photo by Tetsuya Ito)

 本の編集作業が大詰めを迎えていた今年6月、〈中園孔二 ソウルメイト〉展の初日、丸亀市猪熊弦一郎いのくまげんいちろう現代美術館で、改めてその想いを強くした。約220点の絵画作品が展示され、中園の絵画の特徴のひとつでもある入れ子構造を立体的に感じさせる空間をゆっくりと歩きながら、それぞれの作品の前に立った。すると、美大予備校時代の和紙に墨で描かれた《ポスト人間》、藝大の卒業作品展の油彩ほか、中園の画集などで見知っていたはずの作品が、まったく違う感触を伴って迫ってくる。中園を知る人々へのインタビューをまとめて一冊の評伝を書き上げることで、ようやく中園に会えたと思った。私は作品に親密ささえ感じながら、中園の友人が語っていた「彼は天才のように言われるけど、僕からは努力の人に見えています」という言葉の真意をようやく理解した。この絵を描いたときに、中園はそこにいた。その当たり前の事実に胸が熱くなり、絵の外側で今も存在感を放つ中園と対話をした。それは、評伝を書くことでしか辿り着くことのできなかった体験であり、何かが報われるような幸福な時間でもあった。私と同様に、中園と出会っていない人たちと共にその感覚をわかち合うため、私は評伝を書いたのだと思う。

穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って

穏やかなゴースト 画家・中園孔二を追って

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