【試し読み③】『逃げても、逃げてもシェイクスピア』シェイクスピアとの格闘

『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』刊行記念特集

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 完訳を成し遂げた翻訳家の仕事と人生はこんなにも密接につながっていた。
 ソ連に11年抑留された父、女手一つで子供達を守り育てた母。自身の進学、結婚、子育て、介護、そして大切な人達との別れ―人生の経験すべてが、古典の一言一言に血を通わせていった。
 シェイクスピア全戯曲37作を完訳し、82歳となった現在も最前線で活躍する翻訳家・松岡和子さんが、最初は苦手だったシェイクスピアのこと、蜷川幸雄らとの交流、一語へのこだわりを巡る役者との交感まですべてを明かす宝物のような一冊。
『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』(草生亜紀子著、新潮社刊)から、松岡さんがシェイクスピアの全戯曲を翻訳することになったきっかけとなったエピソードを試し読み公開します。

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逃げても、逃げてもシェイクスピア

逃げても、逃げてもシェイクスピア

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 ここで改めて、全訳の旅が始まるまでの流れをおさらいする。
 一九八九年、集英社の女性誌『SPUR』が創刊された。演劇評論家で東京藝術大学教授も務めた長谷部浩は当時、集英社で編集者をしていた。その長谷部が和子に、この新しいモード誌で「シェイクスピアについて書いてくれ」と言う。和子は「とんでもない。私はシェイクスピアの専門家じゃないし、何をどう書いたらいいかわからないから無理」と断った。すると、長谷部はこう返した。
「え、だって松岡さんはそのうちシェイクスピア劇を訳すんでしょう?」
 青天の霹靂だった。確かにシェイクスピアは読んでいた。勉強もした。シェイクスピアを元ネタとする現代劇を訳すなかで「部分訳」はしていた。しかし、この時点では戯曲全体は一作も訳していないし、そんな野望も持ってはいなかった。
 だが、『SPUR』が集めた執筆陣の名前を聞いて、その志の高さに共感した。自分がそこに交じって良いのだろうかと感じながらも、この月刊誌で書き続けるうちに、その原稿が一冊の本を作れるまでになり、連載から『すべての季節のシェイクスピア』が刊行された。一九九三年九月のことだ。版元は筑摩書房。編集者はのちに「シェイクスピア全集」の担当になる打越由理である。
 時を同じくして、シアターコクーンの芸術監督を務めていた串田和美から翌年五月の上演のために『夏の夜の夢』を新訳してほしいと頼まれたのだ。新しい戯曲に取り組むつもりでやるには新訳で行くと決めた串田が、和子を指名したのだった。加えて、東京グローブ座からも『間違いの喜劇』を新訳してほしいというリクエストが届いた。上演はこちらが二ヶ月早い三月だったので、先に着手。わずか数ヶ月の間に和子は二作を新訳することになる。

松岡和子さん(写真・井上佐由紀)
松岡和子さん(写真・井上佐由紀)

『間違いの喜劇』を翻訳したのは、ロンドンでのことだった。海外研修の機会を与えられた和子は、友人のアパートを借りてロンドンに住み着いた。図書館に通い、芝居を観るのと並行して、仮住まいで翻訳に没頭した。数年後、この時のことを振り返った和子はエッセイにこう書いている。
〈いま思い返すと、正味一月かけた『間違いの喜劇』の翻訳作業は、地雷原をただもう無我夢中で突っ走ったようなもの。比喩は悪いがそれが実感だ。〉
 これに続いて訳した『夏の夜の夢』を、和子はベニサン・ピットの稽古場で蜷川幸雄に手渡す。おそらくこれが、九五年の『ハムレット』の新訳オファーに繋がった。
『間違いの喜劇』同様、東京グローブ座からの依頼を受けて、九四年に『ロミオとジュリエット』を訳した和子は、せっかくなら活字で残せないかと考え、筑摩書房の打越に聞いてみた。「翻訳した『夏の夜の夢』『間違いの喜劇』『ロミオとジュリエット』の三作だけでも本にしてもらえないだろうか」と。すると、その願いが受け入れられたばかりか、いっそ全作品を新訳して、ちくま文庫で「シェイクスピア全集」にしましょうという思いがけない提案がなされたのだ。
 苦しくも、やりがいのある長い旅の始まりだった。
 そして一九九六年夏、東京グローブ座のアトリウムで蜷川に出くわした和子は、ここでまた、思ってもみなかった「宣告」を受けた。
「今度、彩の国さいたま芸術劇場で、僕が芸術監督になってシェイクスピアの全作品を上演することになった。ぜんぶ松岡さんの訳でやるからね」
 シェイクスピアの全作品を訳す。その先には蜷川幸雄が演出する舞台が確約されている。和子がよく口にする「from page to stage(翻訳から舞台へ)そしてまた、from stage to page back again(舞台からふたたび翻訳へ)」──日本語になったシェイクスピアの戯曲が役者の身体を通って生きたものとなり、それがまた翻訳を磨き上げることにつながっていく ── という循環がここで確立された。舞台稽古までに翻訳を間に合わせなければならないという締め切りのプレッシャーはあるものの、翻訳の先に素晴らしい舞台が用意されているという、戯曲の翻訳家としてこれ以上望むことができないくらい幸せな環境の中で、大きなプロジェクトが動き始めた。

(「第五章 シェイクスピアとの格闘」より一部抜粋)
このつづきは、発売中の『逃げても、逃げてもシェイクスピア 翻訳家・松岡和子の仕事』(草生亜紀子著、新潮社刊)でお楽しみください!

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