武士はなぜ和歌を詠もうとしたのか――和歌から武士の在り方に迫る

レビュー

4
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武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで

『武士はなぜ歌を詠むか 鎌倉将軍から戦国大名まで』

著者
小川 剛生 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784047035898
発売日
2016/06/23
価格
1,944円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

和歌から武士の在り方に迫る好著

[レビュアー] 五味文彦(東京大学名誉教授)

 本書は、武士たちがどうして和歌を詠もうとしたのかを探り、武家と和歌との関係を明らかにした労作である。

 中世では武士と連歌の関係について語られることは多くても、和歌についてはほとんどなかっただけに、この分析は待望久しかったものである。

 対象は鎌倉将軍源頼朝を出発点にして、親王将軍である宗尊将軍、室町初代将軍である足利尊氏、和歌詠みの武人として知られる太田道灌、そして歌道師範の冷泉為和から見た戦国大名の和歌についてまで。

 著者は「中世の四百年を見通す形となったが、大局的な視野には及ばず、細かな事実の積み上げに過ぎない」と語るが、これはまさに謙遜であり、中世四百年の動きを和歌を通じて見通すものとなっている。

 頼朝が和歌に求めたのは、弓馬と同じくその作法の形成で、これを武家政権の作法として継承させようとしたという。それは源実朝を経て宗尊将軍の代に結実した。幕府の御所で本格的に和歌会が開かれ、和歌が幕府のなかで定着するようになった。

 その際、宗尊将軍の和歌の事績を明らかにする基本を押さえつつ、それが幕府政治といかに密接に関わっていたものかを具体的に指摘する。そのなかで将軍が鎌倉を追放されたのは、君臣関係が和歌を通じて醸成された点が一因であったことがわかってくる。

 室町幕府を樹立した足利尊氏については、和歌の事績があまり知られていなかったが、著者は尊氏とその和歌を探って、南北朝の動乱期に和歌を詠んだことの意味を考え、和歌を通じて神仏に祈るものが多いことを指摘し、その執奏によって勅撰和歌集『新千載和歌集』が生まれるにいたった動きを捉える。

 後醍醐天皇との関係を軸に、尊氏の和歌のあり方を探ってゆく過程がとても興味深く、『新千載集』が『千載集』と同様に御霊を慰める性格のものであったといい、尊氏の和歌については高く評価できないものの、その周辺の側近や国人領主の和歌の活動に注目して、尊氏の和歌がそれに押されてのものであったとする指摘は重要である。

 ついで和歌が武家にとって政治的・文化的に意味あるものであり、和歌の効用をよく知っていたのが太田道灌であるとして、室町戦国期の東国における政治と和歌をめぐる動きを探る。

 政治史の動きをきちんと踏まえ、和歌の事績とその評価を正面に据えて論述してゆく。政治史の動きや和歌活動について、文書や記録を正確に読みとってズバっと本質に迫ってゆく、その切れ味はまことに鋭い。

 最終章では、京を本拠に活動していた冷泉為和が東国に下り、戦国大名とどう関わっていったのかを探っている。

 貴族や僧が地方で仕えることが、戦国期になると広く見受けられるようになった。なかでも為和の場合は和歌を教えるにとどまらず、大名や将軍・管領との間の交渉にも関与しており、その付近の事情を為和の詠んだ「詠草」から探ってゆく。

 分析の手際は実に鮮やかで、この和歌の師範が、戦国大名の文化統治のみならず、外交関係においても重視されていたことをくっきりと浮かびあがらせている。

 中世における和歌は、武家において極めて重視されたことが明らかとなったが、近世になると一転して武士に詠まれなくなる。武士はなぜ和歌を詠まなくなったのか。著者は最後に徳川家康が「武士は武士の勤めあり、公家は公家の勤めあり」と語ったという話を載せ、和歌は公家のみの勤めに限られていったという。

 文書の分析からはわからない武士の心の動きも、その和歌からわかることが多い、と著者は指摘しているが、それが言い過ぎではないと感じさせる出来となっている。

 政治史と和歌史との架け橋となる好著で、文章もけれんみがなくすがすがしい。

 ◇角川選書◇

KADOKAWA 本の旅人
2016年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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