小さな謎は、大切なことへの道しるべ―ミステリの巨人が贈る極上の謎解き。〈インタビュー〉北村薫『遠い唇』

インタビュー

3
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

遠い唇

『遠い唇』

著者
北村 薫 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041047620
発売日
2016/09/30
価格
1,512円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

〈刊行記念インタビュー〉北村薫『遠い唇』

「日常の謎」の名手・北村薫さんの待望の新刊が登場!
「謎と解明」をキーワードに集めた7篇からなる本作に込められた思いとは?

1

謎と解明の物語を中心に

――新作『遠い唇』は、独立した話になっている7篇を集めた作品集です。初出の掲載媒体もバラバラですね。

北村 あとがきの「ひらめきにときめき」にも書きましたが、今回は謎と解明の物語を中心に集めてあります。「ゴースト」という短篇だけはちょっとテーマとは異なりますが、その他の短篇も、それぞれテイストは違いますね。

――まず、巻頭「遠い唇」は、ある独り身の男性が、何十年か前の学生時代を振り返ります。当時彼はミステリのサークルに入っていて、ひとつ上に姉のように慕っていた先輩がいた。ある時その先輩から届いた葉書には暗号めいたアルファベットの羅列があった……という内容です。

北村 これは“コーヒーと本”というテーマを与えられた時にパッと浮かんだんですね。私が学生時代、ワセダミステリクラブにいた頃のたまり場が、コーヒーにうるさいマスターがいたモンシェリという喫茶店だったんです。追い出しコンパの案内なんかを刷っては、そこで宛名書きをしていたんです。でも、ここに出てくるような、「コーヒーを欲る」という言葉を教えてくれる、字のきれいな先輩はいませんでした(笑)。

今も昔も変わらないんだろうけれど、人にはちょっと言いにくいことがありますよね。先輩も、だからこういう形で書いて送ってきて、「これが分かるあなたかどうか」と問いかけてきたわけです。

――時を経てようやく暗号が解けた時に、取り戻せない時間に気づいてなんとも切ない気持ちになる一篇です。一方、次の「しりとり」は、暗号を解くことによって、温かい気持ちを獲得できます。これは夫を亡くした女性が、生前の夫がふと作った、和菓子を使った暗号の意味を知りますね。

北村 これは和菓子が出てくる短篇を頼まれて書いたものです。大切なことを言わないで去っていった夫が生前、紙の上に和菓子を置いて暗号めいた俳句を作っていた。この最初の二篇は、どちらも「なんであの時直接言わなかったんだろう」と思わせるものですが、そういう経験のある人はいっぱいいるんじゃないでしょうか。いじらしいですよね。

――次の「パトラッシュ」は、ある男女の風景が描かれ、後半には彼らの日常の中での謎解きがありますね。タイトルは、主人公の女性が彼にはじめて会った時、アニメ『フランダースの犬』の少年ネロのように、〈パトラッシュ……僕も疲れたんだ……〉と、背中にもたれかかりたくなったというエピソードからです。

北村 これは最初に、二人がじゃれているような情景があったんですね。ぬいぐるみでもなんでも、毛むくじゃらのものって、何か落ち着く感覚がありますよね。ライナスの毛布と同じですね。それを考えた時に、やはりアニメの名シーンは印象に残っていましたからパトラッシュが浮かんだんです。他にも大声コンテストのエピソードや、謎解きのアイデアなど、いろんな材料を頭の中に浮かべながら書くと、こういう話になるんです。

宇宙人によるトンデモ誤読

――次の「解釈」はまたガラリと変わって、新星探査隊の宇宙人が登場します。彼らは地球の生命体の文化として本に着目するのですが、誤読っぷりがすごくて笑えます。たとえば『吾輩は猫である』の冒頭の「吾輩は猫である。名前はまだ無い」について「名前がないのはおかしい」「夏目漱石という名前があるではないか」という。小説の語り手と著者を混同しているんですよね。

2

北村 ネットの書評なんかを見ていると、その本のことを全然分かっていないままに全否定しているものがありますよね。だから解釈は恐ろしくもあり、面白くもあると言えます。それで、訳が分からない解釈をする人を考えて、宇宙人だったら、これはもう普通の人とはまったく違う解釈をするだろう、と。普通は『吾輩は猫である』の「吾輩」を夏目漱石のことだとは思いませんよねえ。でも本当に、これくらいの解釈をして作品を「愚作だ」と言っている人も実際にいるかもしれませんよ(笑)。

――太宰治の『走れメロス』など馴染みのある作品が登場するのも楽しいです。現代作家からは川上弘美さんの『蛇を踏む』。これは踏まれた蛇が人間になって一緒に住む話なわけですから、宇宙人からしたら本当に意味が分からないでしょうね(笑)。

北村 広く知られている作品を選びました。川上さんの『蛇を踏む』は〈ミドリ公園に行く途中の藪で、蛇を踏んでしまった。〉という冒頭が印象に残りますよね。宇宙人からしてみたら、なんだろうこいつらは、となる。

まあ書いているこちらも、宇宙人だったらどう読むだろうかを考えるのは解釈の冒険でしたね。これは間違えるだろうという箇所もあって、たとえば『吾輩は猫である』のなかで魚のサンマが「三馬」と書かれているというのは有名ですよね。『走れメロス』の「竹馬」も宇宙人だったら間違えるだろうな、なんていうことを考えていきました。

――もう、どれもこれも大笑いしました。ぜひ誤読シリーズを書き続けてほしいです。

北村 どうでしょうねえ。宇宙人が『新宿鮫』を読んで「鮫が警察をやっているのか!」と驚くとかねえ(笑)。

――よくパッと出てきますね(笑)。そして次の「続・二銭銅貨」は、江戸川乱歩のはじめての探偵小説であり暗号モノである「二銭銅貨」へのオマージュですよね。語り手の“わたし”のところに乱歩が訪ねてきて、自分が書いた「二銭銅貨」の話を始め、それが暗号解読の話へとつながっていく。北村さんご自身が「二銭銅貨」をお読みになったのはいつ頃ですか?

北村 中学生の頃でしたね。こんな細かいことをよく考えるなあと思いました。でもこの語り手の“私”って誰だろう、などと、なんだか分からないなと思う点もいくつかありました。それとは別に、今回ここに出した暗号のアイデアは前からなんとなく考えていたものだったんです。そのふたつが結びついた話です。

これは本格ミステリ作家クラブ設立10周年記念のアンソロジーを作るという話になった時に、書いた短篇なんです。それで、近代ミステリの出発点になった「二銭銅貨」をもとにして、その中のちょっと理屈に合わないところを取り上げて「裏・二銭銅貨」みたいなものを書いてみようと思ったんです。「続・二銭銅貨」は本格ミステリというものに対しての敬意とオマージュの意味合いもありますし、暗号に暗号で応えるという、いかにも日本的な、主題と変奏みたいなものでもありますね。

――次の「ゴースト」は日常での思い違いを描いたもので、謎解きとはまたちょっと違いますね。

3

北村 これは『八月の六日間』の主人公を書くためのデッサン的な意味合いのあった短篇です。これを書いたのはずいぶん前なので、あの小説の主人公をそのまま書いたわけではありませんが。

――『八月の六日間』は、仕事でもプライベートでもさまざまな思いを抱え、心が疲れているアラフォーの女性編集者が、一年のうちに何度か山登りをして心を浄化させていく様子を丁寧に綴った連作集ですよね。この「ゴースト」も、仕事に疲れた女性編集者が主人公ですね。

北村 疲労した心情を書いたものです。『八月の六日間』でも、疲れた主人公が部屋に落ちていた何かの小さな部品を自分の部品が落ちたのかもしれない、と思う場面がありますが、ここでも生きていることでの疲労感があって、主人公はちょっとした間違いや人違いをしてしまう。

――似たような人違いの経験はありますので、「分かる」と思いました。さて、最後の「ビスケット」は、なんと『冬のオペラ』の名探偵、巫さんとあゆみさんが登場しますね。しかもちゃんと年齢を重ねている。これはテレビの犯人当て番組『探偵Xからの挑戦状!』の原作を依頼されたことがきっかけだそうですね。

北村 ずっと書かなかっただけで、頭の中で彼らはあの後こうなるだろうな、というのはあったんです。続篇を書くつもりはなかったのですが、番組からの依頼と、それとは別に『野性時代』からの依頼があり、じゃあ番組の原作を『野性時代』で書けば一石二鳥だと考えた時、『冬のオペラ』の巫弓彦たちが浮かびました。

――あゆみさんがたまたま殺人事件に遭遇し、奇妙なダイイングメッセージの意味が分からず、久々に巫さんに連絡を取ります。巫さんがすぐに推理を披露するのではなく、彼が口にするヒントをあゆみさんがネットで検索して真実に近づいていく展開です。

北村 犯人当て番組ですから、一般の人も推理できるものにしなくてはいけない。しかも、ただ犯人の名前を当てればいいというわけではなく、そこに至る論理の経過が肝心なんですよね。それで、ネットで検索していけば真相が分かるものにしました。従来のパターンなら巫さんが推理を披露してみんなが感心する場面だけ書けばいいので、あゆみちゃんがネット検索して推理する部分は要らないですよね。あくまでも番組向けということで、作者の意図を超えて話ができあがったので、不思議な感じがします。

――ここでも、たどり着く真相がなんとも哀しく、犯人の「いささか本を読み、そして――人生もまた、読みました」という台詞が心に残りました。今回の作品集は暗号モノが多いですね。ひとつひとつ作成するのは大変ではなかったですか?

北村 いいえ、楽ですよ、暗号よりも女心のほうがよっぽど解きがたいでしょう?(笑) 暗号は物語の目的ではなく、要素です。たとえば「遠い唇」のアルファベットにしても「しりとり」の和菓子にしても、暗号の材料と物語が密接に結びついていることが大事だろう、と思いながら書きました。最後に収録された「ビスケット」も暗号モノですが、これも人の心の謎が暗号という形で物語に結びついています。

――そうですよね。だから今回は読後にしみじみとする話が多いですね。

北村 ええ、私も人生を読んできましたから(笑)。

北村薫(きたむら・かおる)
1949年埼玉県生まれ。早稲田大学卒。高校教師として教えるかたわら、89年『空飛ぶ馬』でデビュー。91年『夜の蝉』で日本推理作家協会賞、2006年『ニッポン硬貨の謎』で本格ミステリ大賞、09年『鷺と雪』で直木賞を受賞。著作に『八月の六日間』『うた合わせ 北村薫の百人一首』など多数。

取材・文|瀧井朝世  撮影|ホンゴユウジ

KADOKAWA 本の旅人
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • このエントリーをはてなブックマークに追加