大矢博子の推し活読書クラブ
2024/04/24

小芝風花・安田顕主演「天使の耳 交通警察の夜」単話ものをテクニカルな手法で再構成 30年前の原作は逆に新鮮に!

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 推しが演じるあの役は、原作ではどんなふうに描かれてる? ドラマや映画の原作小説を紹介するこのコラム、今回は東野圭吾初期の名作を映像化したこのドラマだ!

■小芝風花・安田顕、主演!「天使の耳 交通警察の夜」(NHK・2023)


 昨年、NHK BS4KおよびBSプレミアムで放送された「天使の耳 交通警察の夜」(前後編)が、NHK総合の「ドラマ10」で全4回に再構成されて放送された。原作は東野圭吾の『天使の耳』(講談社文庫)。6編が収録された短編集で、1989年から91年にかけて雑誌に掲載されたものだ。うわあ、もう30年以上も前の小説なのか。

 原作はいずれも交通事故をモチーフに、交通課の警察官たちが事故の裏側に迫っていく様子を描いている。東野圭吾らしいどんでん返しが仕掛けられたトリッキーな作品集であるとともに、当時の交通法規制の問題点を炙り出す社会派な物語でもあった。

 原作に収録されているのは、交差点で起きた衝突事故で信号はどちらが青だったのかを盲目の少女が立証する「天使の耳」。走行中のトラックがいきなりハンドルを切って中央分離帯を乗り越えた理由を探る「分離帯」。初心者マークをつけた車が後続車に煽られて事故を起こしてしまう「危険な若葉」。当て逃げ犯から連絡を受けて謝罪されたが、そこに思わぬ企みが潜んでいた「通りゃんせ」。前の車からポイ捨てされた空き缶が後続車の同乗者に大怪我を負わせた「捨てないで」。そして交差点で起きた車とバイクの事故に意外な秘密が隠されていた「鏡の中で」の6編だ。

 原作の各話は完全に独立しており、事件にあたる警察官もすべて別の人物である。けれどドラマは交通課警察官の陣内(小芝風花)と金沢(安田顕)を軸に起き、すべて彼らが担当する事故にしたのがミソ。この6編から「鏡の中で」を除く5編を組み合わせて再構成しており、一話完結ではなくそれぞれの事件が連続して起きる(時には絡んでいく)構造になっている。いやあ、これが実にテクニカルなのだ。

 交通事故そのものはほぼ原作のままに展開するが、ちょっと割りを食ってしまったのが原作の「捨てないで」だ。車からのポイ捨てが大惨事につながるのも、それが意外な形で解決するのも原作と同じだが、実は原作にはある殺人事件が描かれる。そのくだりがばっさりカットされていたので、ぜひ原作で確認していただきたい。


イラスト・タテノカズヒロ

■30年前の原作から見えてくる、交通事故事情の変化

 もうひとつ、ドラマと原作には大きな違いがある。原作は30年以上前の作品のため、現在とは状況がかなり異なっている。ドライブレコーダーがない、情報を募るのにSNSが使えない、ケータイもないので事故の連絡は家の固定電話にかけて家族に伝える、などなど。他にもルールや考え方の違いが見えるのが興味深い。

 たとえば、ドラマには出てこないが「鏡の中で」ではバイクの少年がヘルメットをかぶっていなかったため重篤な状況になるというエピソードがある。ここに原作では「今は原付に乗る場合もヘルメット着用が義務付けられているが」という一言が入るのだ。原付を含むすべてのバイク、すべての道路でヘルメット着用が義務付けられたのは1986年、原作が書かれた5年前のことである。原作が出た当時はまだノーヘルでイキがる若者がけっこういたのだ。

 また、法律が改正されたために原作通りの作劇ができなくなった話がある。原作の「危険な若葉」だ。運転初心者が山道で後続車に嫌がらせを受け、焦るうちに事故を起こしてしまう。後続車のドライバーは被害者が生きているのを確認しただけでそのまま逃走。警察は自損事故だと思っていたが、事故車の後部に追突された形跡があることに気づき、被害者に話を聞こうとする。ところが被害者は記憶喪失になっていた。その後、少しずつ記憶を取り戻し始めた被害者が意外な証言をして──。

 というところまでは原作もドラマも同じだが、その後に決定的な違いがある。ネタバレになるので具体的に書くわけにいかないのだが、えーっと、「動機が違う」という言い方ならいいかな? 被害者の証言が思わぬ展開に結びつくのは原作通りなのだけど、その先に明かされる真相はドラマオリジナルである。なぜ改変したのか。今の道路交通法ではその「動機」が成立しないからだ。

 肝心なところをボカして書いているのでイマイチ伝わっているかどうか不安だが、少なくとも、今の道路交通法であれば、「危険な若葉」の彼女はああいう行動をとる必要はなかった。前述のノーヘルの少年もそうだが、交通法の改正は少しずつであるとはいえ(そして遅きに失した部分もあるとはいえ)、ちゃんと弱者を守るよう変わっていってるのだなと実感する。

■ドラマに込められた、昔も今も変わらないもどかしさ

 確かに法律は変わっていっているが、その一方で、変わらないものがある。それこそがこのドラマのメインテーマだ。それは「誰だってやっている」という加害者の安易な考えと、罰せられるべき人が罰せられないという交通事故のもどかしさである。

 ドラマでは繰り返し「誰だってやってる」「みんなやってる」「よくあること」という言葉が登場する。前のクルマがのろのろ走っていたら後ろからせっつくくらい誰だってやってる、駐車スペースがない場所での路上駐車くらいみんなやってる。車の窓から何かを捨てるなんてよくあること。その「誰だってやってる」ことが大きな悲劇に結びつくのに、「誰だってやってる」程度の軽微な違反だから罰せられない。

 原作でも同様に、「誰だってやってる」は頻出する。しかしそれをひとつにまとめ、主人公のひとりの過去に絡ませた改変には思わず感心した。原作既読組としては、「天使の耳」の少女の知り合いとして「捨てないで」のカップルが出てきたときにニヤリとしたり、トラック横転という無線を聞いたときは「分離帯」だなと見当をつけたりという楽しみ方をしていたのだが、原作の中でも最も悲劇的な(そして最も「よくあること」の)あの話を、まさかこういう使い方をしてくるとは思わなかった。

 どう再構成したかは見ていただくしかないのだけれど、原作には法で罰せられない真の加害者に、個人レベルで仕返しをするという話が3編ある。読者はスッキリする。ところがこのドラマでは、その3編とも、仕返しを成し遂げられなかったり、成し遂げてもそのせいで逮捕されたりするというふうに結末を変えていた。違法行為での仕返しをNHKが描くわけにもいかないのかな、とも思ったが、それによっていっそう問題が際立ったのは間違いない。それこそがドラマの狙いだったのかもしれない。最終回での安田顕さんの素晴らしい芝居を見れば、「誰だってやってる」なんて言えなくなるぞ。

 シビアな物語の中にあって、原作にはない交通課の面々の交流が癒やしだった。小芝風花と檀れいと安田顕の出てくる交通安全の寸劇、見たい! 小芝さんの幼稚園児の可愛かったことったら。一方、ドラマで主人公が固定されてしまったため、原作の各編に出てくる警察官たちの事情や物語はすべてカットされているので、そちらは原作でお読みいただきたい。改変が多い分、原作は新鮮な気持ちで読めるはずだ。

大矢博子
書評家。著書に『クリスティを読む! ミステリの女王の名作入門講座』(東京創元社)、『歴史・時代小説 縦横無尽の読みくらべガイド』(文春文庫)、『読み出したらとまらない! 女子ミステリーマストリード100』(日経文芸文庫)など。名古屋を拠点にラジオでのブックナビゲーターや読書会主催などの活動もしている。

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