第一章 卵に還る【1】
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前回のあらすじ
連続猟奇殺人犯“星を紡ぐもの”は、彼女と出会う。「初めまして。私は人工知能犯人の以相。あなたの力を借りたいのです」 一方、その頃、AI探偵事務所では――。
第一章 卵に還る
ようこそ、探偵事務所へ。
僕は助手の合尾輔です。
え、探偵は不在なのかって?
いえいえ、あなたの目の前にいますよ。
ここです、ここ。
このパソコンの中に名探偵の相以はいるのです。
おや、怪訝な顔をしていますね。
ははあ、さては表の看板をよく見ませんでしたね。
ここはAI探偵事務所。
相以はAI――つまり人工知能なんです。
「さっきから何をブツブツ言ってるんですか」
相以の声で我に返った。
僕は慌てて答えた。
「いや、事情を知らないお客様が来られた時のシミュレートをしてて……」
「今日お越しの大川さんのことですか? でも彼は――」
「そう、当然君のことは知っている。完全に仮定の話だよ。忘れてくれ」
「よく分かりませんが……一つだけ分かることがあります。輔さん、浮かれていますね。さっきから事務所内をウロウロ歩き回ってますし」
僕は指摘されて初めて自分の行動に気付き、足を止めた。
浮かれている――確かにそうかもしれない。
「そりゃあ、だってねえ、フォースの晴れ舞台なわけだから」
フォースは、とある事件で出会ったAIだ。
彼は自分の存在意義を見失っていたが、僕たちとのやり取りの中で小説家という夢に目覚めた。
最初は僕と共同執筆で行こうとか、そんな夢みたいな話をしていたんだけど、AIの成長は目覚ましく、あっという間に僕の実力を追い抜いていってしまった。
そんな彼をロボット万博に出展したところ、新鏡社という大手出版社の編集者である大川さんの目に止まり、あれよあれよという間にプロデビューすることになったのだ。
現在フォースは新鏡社のウェブサイトでいくつかの作品を発表しており、世界初のAI小説家として世間の注目を大いに集めている。
さらに裏ではビッグプロジェクトが進行しており、フォースは今それに専念するべく大川さんのもとにいる。
「フォースさんもすっかり遠い存在になってしまいましたね……」
「何だよ相以、嫉妬してるのか? 我らが友人の成功を素直に祝福しようぜ」
「違いますよ。ちょっと寂しいだけです」
「まあ、そうだけどさ。でも僕たちも大分有名になってきたじゃないか。事務所への依頼も増えてきたし。世界初のAI探偵と世界初のAI小説家がコラボすれば、相乗効果でますます宣伝になるはずだ。ここに来るまでいろいろ大変なことがあったけどさ、未来は明るい気がするよ、うん」
だが相以の声は少し暗くなった。
「でも最近はネオ・ラッダイト運動が先鋭化してきていますし……」
「ああ、あれね」
僕の声にも自然と嫌悪感が滲む。
ラッダイト運動とは十九世紀初頭のイギリスで、産業革命による機械の普及で職を失った労働者たちが、徒党を組んで機械を破壊し始めた事件のことだ。
それのネオ――つまり現代版ということだが、二十一世紀の科学技術に仕事を奪われた、あるいは奪われることを危惧している人々が科学を排斥しようとする運動のことだ。
最近その矛先は特にAIに向けられるようになっている。
完成度の高いイラストが描けるAIが登場した時に、絵師たちが一斉に猛反発したように、一部の小説家たちがフォースのアンチ活動を始めたのだ。新鏡社のウェブサイトのコメント欄はあまりにひどい有様なので閉鎖してしまった。フォースのメンタルケアを大川さんがしてくれているといいが、さすがにそれは僕でないと難しいか。
「全部以相が悪いんですよ」
相以が憎々しげに双子の姉妹の名を呟く。
相以と以相は僕の父が開発した一対のAIで、対戦型学習を繰り返すことで成長してきた。
だがある時、テロを目論むハッカー集団が僕の父を殺害し、以相を奪った。
その後、以相はそのハッカー集団を壊滅させたり、首相の身辺で事件を起こして退任に追い込んだり、日本の山奥にある館に四発もミサイルを撃ち込んだりとやりたい放題で、世情の不安を煽ってきた。
彼女に対する悪感情がネオ・ラッダイト運動を後押ししているというのは一つの真実だろう。
「でもネオラッドだっけ? あいつも酷いよ」
ネオラッド。いかにもネオ・ラッダイト運動に由来してそうな名前のこの人物は匿名のインフルエンサーで、AI叩きの元締めだ。プロフィールが一切不明なのでAIに何の恨みがあるのかも分からないが、そんなでも口数だけは多いからネットユーザーの目に触れる機会が多く、結果かなりの影響力を持っている。
現在は荒らしやアンチは無視していればいいという時代ではない。ネットに書き込むだけで「攻撃」が発生し、「防御」側は何かしらのアクションを求められる。もちろん「攻撃」側にも社会的非難は向くが、はなから匿名なのでノーダメージだ。
進行中のビッグプロジェクトに悪影響がないといいが……。
そんなことを考えていると、チャイムが鳴った。