第一話 推しが門司港を熱くする⑥

【試し読み】大人気シリーズ最新作! 町田そのこ『コンビニ兄弟3』

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「元がしっかりしてないと、か。なるほどなあ」
 采原がしみじみと呟いた。それから「頑張れば、カラスも綺麗に華やかになれるってことですね」とツギを見た。
「まー、そうかもな」
 ツギはペットボトルのお茶を喉を鳴らして飲み「つーか、邪魔してすまん」とくるりと向き戻った。
「あとは店長さんと、どうぞ」
「え? あ、あの、あなたは一体…」
「ええと、おれはただの常連客です」
 名乗らないツギは、どうやら身バレを避けているのだと光莉は気付く。だから「ええ、常連さんです」と微笑んだ。
「ね、店長」
「え? ええはい、いつもご利用いただいております」
 にこにこと笑う志波に、「すごいなあ」と采原は感動したように目を潤ませた。
「何なんですか、この店。アルフレッド様みたいな店長さんがいるかと思えば、毛玉兄貴みたいなお客さんまでいるんですか!」
 光莉の口の中で、「ギョフ」と変な音がした。
 いま、毛玉兄貴って言った…?
 それはまさしく、自分がネットで連載している『毛玉兄貴の野郎ライフ』の主人公ではないか? そのモデルはまさしくツギ―志波二彦にひこそのひとである。
「なんじゃそら。俺はそんなんじゃない」
 ばさりとツギが切って捨てると、采原は「ああ、すみません。えっとえっと、毛玉兄貴よりは『いせマス』のウェグナー騎士団長のほうが近いですよね。団長は隻眼せきがんなんですけど、その目を隠す前髪の具合がちょうどいい感じがします。雑にまとめられた髪も素敵です。あ、あの団長ってぼくが一番憧れているひとでして、だからちょっと愛を重たくさせてしまいそうだなって思って言えなかったんですけどでもまじ団長です。端的に、三次元化すごい。声も想像を通り越してもはや本人。奇跡の適合率です。鼓膜が喜んでます。あの、『オレにすべてを預けろ』って言ってもらえませんか。えっと録音させてくれたらもっとありがたいんですけど」とまくし立てるように喋り始めた。
 光莉はそれを見ながら、或るくんに惚れ直しちゃう…と感動していた。自分が喋っているのかと思った。そうそう、そうなのよ、髪をひとつ結びにしたツギくんって団長なのよ。団長よりいささか面倒見がいい気がするんだけど、あの団長が自分にこんなに親しくしてくれるの? って思えばむしろご褒美ですもんね。分かる分かる。
ていうか話を戻せば或るくんの口から毛玉兄貴って単語が出るのが奇跡なのよ。読んでくれていたってことでしょ? 推しがわたしの漫画を読んでるって、何それすごくない? ああ、わたしこれからもっともっと頑張ろう。もっともっと素敵なお話を描いて、彼に読んでもらおう。彼の一日の少しの時間でいい、彼の時間を豊かに満たせる漫画を絶対描こう…!
 ひとり興奮していた光莉がふと目を向ければ、こういう席ではいつもにこやかに話に耳を傾けている志波がスマホをせっせと操作していた。どこか楽しそうな様子に、「店長、どうしたんですか?」と訊く。ぱっと顔をあげた志波は「本、注文してました」と言った。
「采原さんからさっき『転生できたのでゴブリンの嫁になります』という作品についていろいろ伺ったんですよ。ぼくに似ているというアルフレッドがどういう人物なのか気になるし、何より、作品の世界観がとても面白そうで。異世界転生という言葉、初めて知ったんですけど想像が広がって面白いですね。なので読みたくなっちゃって、知り合いの書店に既刊本全部注文しました」
 嬉しそうにスマホをしまった志波は「采原さんのプレゼンがすごくよくて」と采原に話を向ける。
「物語に対する思いの強さや愛情がひしひし伝わって来たんです。そんなひとがこんなに熱心に語る本は、きっと面白いに違いないと思いました。これまで手に取ることも考えなかった本に触れるきっかけをくださってありがとうございます」
 采原が驚いたような顔をして、それからすぐに照れる。
「いや、え、えっと、その、好きだからべらべら喋っただけで」
「そのお話がとても面白かったんです。ああ、絶対読みたいと誰かに思わせるってすごいことだとぼくは思いますよ」
 早く読みたいなあ。声を弾ませる志波を前に、采原はふっと真面目な顔を作った。