第一話 赤い小鳥【3】

【試し読み】『きみはだれかのどうでもいい人』で話題! 伊藤朱里『ピンク色なんかこわくない』

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ピンク色なんかこわくない

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「わたしもそう思う。ピアノの発表会のときとか、お姫様みたいだったもん」
…ありがとう」
 そのころにはさすがに妖精みたいなドレスで発表会に参加することもなくなっていたのだけれど、彼女にとっては鮮烈な記憶だったらしい。
「でも、あんなぼやけた色じゃなくて、もっとすごいの着ればいいのに。真っ赤なドレスとか絶対似合うよ。みんながこの子は自分たちとは違う、自分たちには触ることもできないくらい特別な存在なんだってひざまずくような色」
「うーん、べつにひざまずかれたくはないかな」
「心配なんだもん」
 きみがそれを言うかね、と内心でつぶやきながらも「なにが?」と続きを促した。
「本当だったら、男装させて銃とか持たせたい」
 答えになっていないことよりも、影響されやすいところはやっぱり中学生だなと思って笑った。そのドラマには当時涼しげな美貌で人気のあった若手女優が、男の格好をして―ただ、もちろん巧妙にその魅力の面影を残しながら―出演していた。
「自分こそ、きれいなお洋服とか着てみたくないの? せめて下着とか」
 冗談めかして訊くと、ううん、と即答された。
「目立つから。お母さんが、あんまり女っぽかったり派手だったりすると悪目立ちする、いっちゃんはそれでよくいじめられたから気をつけてねって」
…そう」
 ベッドに仰向けになると、まだ新しいにもかかわらず頭上の天板のそこかしこにへこみや傷があった。上の妹と、ここを挟んでなにかしら揉めた痕跡かもしれない。傷だらけの二段ベッド、向かい合わせになった子供用の学習机、壁際にはディズニーの棚、動物柄のカーテン、床に直置きされたブラウン管のテレビとゲーム機。
「いっちゃん、これが終わったらなにか弾いて」
…お母さんが怒るよ」
 壁にかけられた妹のセーラー服をあらためて見ると、くたくたになりすぎてむしろ防護服のような光沢を放っていた。
「防音でいいよ。ドア開けて、テレビも消して聴いてるから」
 あの子は部屋にいるとき、いつも無防備な下着姿だった。
 中学生にもなればいくらでもおしゃれなデザインはあるはずなのに、色は決まって白、リボンもレースもワンポイントもない無骨なものばかり。小さいサイズのスポーツブラを無理に使うせいで、逆に胸や背中にうっすらとついた脂肪の肉感が際立っていた。ゴムの締めつけで汗をかくのか、位置をしきりと直しては下に浮き出た肋骨を撫でる癖があった。足はフライドチキンの骨みたいで、目にするたびに関節を反対側に曲げてぽきりと折ってみたくなった。いや、目にするのではなく、薄い天板越しに想像するだけで。
 ベッドに投げ出した自分の足を見下ろすと、腿につきはじめた肉が清潔なシーツに押しつけられて横に流れ、手羽先みたいにぷっくりとしていた。きゅう、と胃が小さく鳴り、私は思わず薄く笑った。

 妹の心配も、あながち間違ってはいなかったのかもしれない。
「あ、来たよ。よく来られるよね」
 教室で友達と一限の予習をしていたとき、ひとりがふいに声をひそめた。
 後方の扉から入ってきたのは、クラスでいちばんおとなしいとされている、これまで一度も目立ったことのなかった女子生徒だった。私たちが膝上あたりで切っていたスカートをふくらはぎまで垂らし、その下から見えるのは当時クラスの女子がほぼみんな穿いていたルーズソックスではなく、ぴったりした分厚いハイソックスだった(かたくなに足の肌を見せない着こなしは、その下に生えている未処理の毛を隠すためだとまことしやかにささやかれていた)。目は大きく、よく見ると顔立ちもはっきりしていたけれど、度の強い眼鏡をかけているせいでせっかくのそれもちぐはぐになり、しかも眉を整えないからまるで垢抜けず、奇妙な昆虫みたいな印象だった。朝ブローをしていないらしい髪は、いつ見ても右側がわざとのように跳ねていた。
 その子が入ってきた瞬間、教室の空気が変わった。みんな彼女を視界に入れないように顔の向きを変え、仲間同士で身を寄せ合いおのおの体の距離を近づけた。ひとりでいた生徒は本を取りだして読みはじめたり、手近なグループの会話に混ざったりした。
「いくらもらったんだろ、あの見た目で」
「処女ならだれでもいいんかな。おっさんってちょろいねー」
 悪口というほど攻撃的ではないが本人に聞こえたところで気に留めない、そんな微妙なボリュームの声が頭上を飛び交った。