暗殺疑惑もある幻の将軍・徳川家基 死が暴く権力の“闇”

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葵の月

『葵の月』

著者
梶 よう子 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041038185
発売日
2016/04/27
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

徳川家基の死が暴く権力の“闇”

[レビュアー] 末國善己(文芸評論家)

 梶よう子は、偉大な師・三代歌川豊国の後継者になることを求められた清太郎(二代国貞)の苦悩を描く前作『ヨイ豊』が直木賞候補になり、注目を集めた。待望の新作は、十代将軍徳川家治の嫡男ながら、毒殺説もある不可解な死を遂げた家基の死の謎を描いたミステリータッチの作品である。著者は、桜田門外の変に向けて物語が進む松本清張賞受賞作『一朝の夢』、相馬大作事件を描く『みちのく忠臣蔵』、松平外記刃傷事件を題材にした『ふくろう』など、歴史的な大事件を、当事者以外の人物の視点で切り取る作品を発表している。この系譜に属する本書だが、これまでの作品が長編だったのに対し、章ごとに主人公を変える連作形式にすることで新機軸を打ち立て、事件を多角的に捉えることにも成功している。

 巻頭の「昼月」は、西丸書院番組頭の立原家の娘・志津乃と、高階信吾郎の縁談が描かれる。三年前、志津乃は、家基に仕える坂木蒼馬と婚約していた。だが蒼馬は、家基の死後に失踪し、毒殺犯の疑惑もかけられている。しかも蒼馬と信吾郎は、同じ道場で学んだ友人なのだ。蒼馬に未練を残す志津乃、志津乃が好きな信吾郎――この三角関係に、秘かに志津乃を想う立原家用人の嫡男・平八もからむので、せつない恋物語となっている。

「月日星」は、志津乃の伯父で医師の水沢孝安が主人公だ。ある日、孝安は、池原雲伯を知っているかと聞かれ、知っていると答えると、いきなり斬り付けられる。その直後、孝安の患者で、卒中で倒れた元絵師の権太が毒殺された。孝安が岡っ引きの三次と共に、誰が、なぜ一介の絵師を毒殺したかを追う展開は、良質な捕物帳となっている。

 武家屋敷を狙う盗賊の新助が、蒼馬に頼まれ、雲伯の屋敷に忍び込むクライムノベル「最中月」を経て、「月隠り」では、ついにキーパーソンの雲伯が登場する。

 雲伯は、田沼意次に認められ将軍を診察する幕府奥医師になった名医だが、出世欲が強く、毒物を偏愛し、謎の幼女を養育しているなど不気味なところも多い。かつて同じ塾で学んだ孝安が事情を聞くために雲伯を訪ねたことで、雲伯が孝安の襲撃や権太殺しに関与した疑惑が強くなる。だが雲伯の屋敷で暮らす幼女の正体など新たな謎も増えていくので、信吾郎を軸にした「雨夜の月」、平八が活躍する「有明の月」、そして蒼馬に焦点を当てた「葵の月」へと進むにつれ物語はなおも複雑になり、先が読めないスリリングな展開が続くことになる。

 終盤になると、無関係に思えたエピソードがパズルのピースのように集まり、意外な真相を浮かび上がらせるミステリーの面白さに加え、志津乃と蒼馬、信吾郎の恋の行方も重要な鍵になるので、どのジャンルが好きな読者でも満足できるだろう。

 やがて、家基の死をめぐって、幕府の重臣が壮絶な権力闘争を繰り広げていたことも分かってくる。といっても、実際に謀略を実行するのは、重臣に命令された末端の人間である。数が限られた役職に就けると考え、汚れ仕事に手を染める人たちは、ノルマを達成すれば成功できるが、失敗すれば減給や解雇の危険もある過酷な競争原理が導入された現代を生きる勤め人に近いものがある。それだけに、上役の命令で謀略に加担する人たちが、悪人とは思えず、我が身を重ねる読者も多いのではないだろうか。

 さらに著者は、江戸市中で起きる殺人を通して、部下がどれだけ上司や組織に忠誠を誓っても、不要になればあっさり切り捨てられる現実も暴いている。タイトルの「葵の月」は、いつの時代も変わらないトップの非情さを象徴しているだけに、その意味が明かされるラストには衝撃を受けるはずだ。

 ただ本書は、暗いだけではない。亡き主・家基の純粋さを受け継いだ蒼馬、一途に志津乃を想う平八が、作中に渦巻く情念を浄化してくれるので、希望の光も見出せるのだ。

KADOKAWA 本の旅人
2016年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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