平野啓一郎『透明な迷宮』インタビュー[前編] 作家デビューから17年、芥川賞最年少受賞から16年

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透明な迷宮

『透明な迷宮』

著者
平野 啓一郎 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104260096
発売日
2014/06/30
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

平野啓一郎『透明な迷宮』インタビュー[前編] 作家デビューから17年、芥川賞最年少受賞から16年

[文] 平野啓一郎(作家)

10代の頃から、女性の双子にものすごく関心があった。顔はほとんど同じ、性格もよく似ているのに、どちらか一方を好きになるのはどうしてか? 行き着いたのはエピソードの共有だった。

◆「女性の双子」に興味がある

【透明な迷宮】より
 ミサは、双子の姉妹だった。一人は、岡田がブダペストで会った「美里」。もう一人は、彼が半年の間、関係を持ち続けてきた「美咲」。――
 岡田は、双子と面と向かって会うのは初めてだったが、二人のミサは、一卵性双生児の中でも、恐らく特によく似ている方だった。彼は、ドアを開けて最初に目にしたのがどちらなのか、本当にわからなかった。髪型は違うが、長さは同じくらいだった。服装では区別がつかない。動揺する彼に、姉妹の方がそれぞれに名乗って説明した。

平野啓一郎

――表題作の「双子」という設定は最初から?
平野 ええ。実は、僕は十代の頃から女性の双子に、ものすごく関心があるんですよ。何組か双子の姉妹と接したことがあり、顔はほとんど同じで性格もよく似ているのに、どちらか一方を好きになってしまうというのは何なのか。その理由を考えていくと、エピソードに行き着く。片方とは何のエピソードもないけど、もう片方とは、たとえば雨の日にたまたま会って相合傘で帰ったというエピソードがあるとそれだけで違った感情が芽生えてしまう。
 この小説を書くために双子の姉妹をリサーチしましたが、姉の彼氏がトイレから出てきたら間違って妹のほうに話しかけていて姉がショックを受けた、というケースがありました。そういう話を聞くと、やはり人は相手の顔や人格全体を好きになるのではなく、エピソードを共有したから好きになるんじゃないかな、と思うわけです。

◆東日本大震災と原発と「時間感覚」

【透明な迷宮】より
 ミサは二十八歳で、岡田よりも八歳年下だった。東京のIT企業でウェブデザイナーをしていたが、震災後一年が過ぎた頃に急に会社を辞めて、以来、ヨーロッパ各地を転々としているのだという。持ち物や服装からして、バックパッカーという風でもなかった。

【Re:依田氏からの依頼】より
 私たちは、東京の稽古場で震災を経験していた。三ヶ月後のパリ公演はキャンセルしなかったものの、親類が被災したスタッフが二名、日本に留まり、パリに来た役者たちの顔つきも、始めからあまりに囚人的だった。

 日本を発つ少し前に、私自身は、福島から岩手にかけての被災地を、数人の劇団関係者と一緒に車で回っていた。涼子も一緒だった。
 巨大な静寂が支配する津波に破壊し尽くされた町で、皆、終始無言だった。自衛隊が辛うじて作った道路は、野次馬で混雑しているという噂だったが、私たちが行った時には、閑散としていた。死体は目にしなかったものの、紙屑を丸めたような自動車や横倒しのビル、絡まり合った電線、家屋の残骸と、見渡す限り、瓦礫はまだほとんど手つかずのまま放置されていた。
 時折車を降りて、しばらく歩いた。薄曇りに濾過されたような光が穏やかに降り注いでいた。
 非常の時間と日常の時間とが、一つの大地を奪い合って、音も無く熾烈な闘争を繰り広げていた。――が、その緊張は、むしろ東京に戻ってから遅れて重たく実感された。
 私はテレビで、放射性廃棄物の処理を巡って、十万年という時間の議論を真顔でしている人たちに目を瞠(みは)った。数字としては、確かに記述可能である。しかし一体、誰がそんな時間を自らの手の中で扱えるというのだろう?
 他方で、あとほんの数分、地震の発生した時刻が前後していたならば、死なずに生き残った人がいて、逆に助からずに死んだ人がいたという想像が、私を途方に暮れさせた。地震そのものは予想されていた。しかし、なぜあの時だったのか。それは畢竟、発したまま捨て遣るより外はない問いだった。

――表題作や『Re:依田氏からの依頼』には、東日本大震災に関する言葉がいくつも出てきます。
平野 それは僕の中では、もはや避けては通れない言葉です。ただし、今回の作品集は正面切ってアプローチすることが目的ではないし、被災者を直接取材して作品にするにはまだ自分の中でうまく構想できないところがあるので、物語として避けられない部分としての関わりという形になっています。
 東日本大震災で僕が最も文学的に興味を持ったのは、「時間感覚」の問題です。福島第一原発事故がもたらした放射性廃棄物については10万年も先のことを考えねばならないし、原発そのものの廃炉・解体でさえ何十年も先の話です。多くの人がおそらく自分が生きているうちには終わらない問題について考えねばならない。普通の時間感覚とは全く違う時間の目盛りを強いられることになるわけです。

※強い放射線を出す高レベル放射性廃棄物は、その放射能レベルが十分低くなるまで、数万年以上にわたって人間の生活環境から遠ざけ、管理する必要がある。その方法として、日本を含めた各国では、ガラス固化して冷却した後、地下300メートル以深の地層に埋設する「地層処分」を計画している。

 その一方では、被災地にいる人たちと東京で生活している人たちの時間のテンポに極めて大きなギャップを感じています。そういう複数の時間の存在というものを、もちろん今までもありましたが、震災を経験し、被災地を何度か訪れたことで、より強く意識するようになりました。
 もう一つは「透明な迷宮」というテーマに関わるんですが、東北地方では避難訓練などが行われていたように、地震や津波はある程度予測されていたことだと思います。では、なぜ、その時その場所にその人がいたのか? 1時間ずれていれば死なずに済んだ人、その逆に1時間ずれていたら死んでいた人がいたわけです。そういうことを無限に考え出すと、ある種の不合理な感覚にとらわれていく。その時間に自分がその場所にいることの偶然性と必然性を改めて考えさせられました。
 とはいえ、震災問題は抽象的には扱えません。文学というのは特殊な個別具体例を取り上げて話が出発するのが基本的な特性だと思います。つまり、ある時にある人がいて、というところからしか始まらない。だから震災問題を抽象的に扱おうとすると、もう何も書けなくなってしまう。そういう意味では、文学が震災にどういう形でアプローチできるのか、ものすごく考えますね。
 僕の基本的なアプローチは、今までに書いてきた作品は全部そうですが、それが歴史の流れの中で何なのかを見ることです。つまり、震災そのものよりも、震災が起きたことが従来からあった問題の何を表に顕在化させ、どこの部分で日本を変えてしまったのかということを歴史の流れ中で見ていく。それは政治的な問題や社会風潮の問題、日本という国の地理的な問題、科学信仰に対する不信感など多岐にわたると思いますが……。
 もともと文学は即効性のあるジャンルではありません。小説家は長い時間軸の中で物事の意味を根本的に考えることを仕事にしているわけで、それに即効性があるものとは別の意味があるということを信じられなければ、小説を書く意味はないと思います。だから震災問題についても、直に扱うのとは少々違ったアプローチで取り組んでいくのかな、という気はしています。

◆透明だが迷宮の中にいるような状態

――ところで、「透明な迷宮」とは?
平野 よく、今は先行き不透明な時代と言われますが、逆に言うと、インターネットが登場したことによって、今ほど人間の心の内側から世界の果てで起きている出来事までが透明になり、手に取るように可視化された時代はないと思います。
 ところが、そうなってみると、ますます人間はこれからどの方向に進んでいけばいいのかわからない時代になっている。つまり、透明なんだけれども迷宮の中にいるような状態、というイメージです。そういう世界の中で人と人とが出会い、別れ、恋愛をしたりしているわけですが、どこまでが自分の意思でコントロールできることで、どこから先が仕方がなかったこととして受け入れるしかないのか――。すなわち「偶然性と必然性」ということが、この作品集全体のテーマになっています。
 たとえば、表題作の≪たった一つのエピソードのために、誰かを愛するのだろうか? 愛を受胎するのは、二人の間の出来事なのだろうか? そうではなく、相手の人格を全体として愛するのではないか?≫というくだり。つまり、人を好きになるというのは、その人の中の漠然とした人格全体が好きになるのか、それとも、あるエピソードを共有したから好きになるのか、ということです。
 あるいは『Re:依田氏からの依頼』の≪凡庸な思想は、人間の唯一性への憧れを嗾し、交換可能性にヒステリックに抵抗する。しかしその実、愛とは、誰でもよかったという交換可能性にだけ開かれた神秘ではあるまいか?≫という一文。みんな自分が「ワン・アンド・オンリー」だから愛されるというふうに思い込んでいるけれど、実際には個性的すぎるとなかなか愛されないわけで、僕らはどこかで凡庸さに開かれているからこそ、言い換えれば「誰でもいい」という交換可能性があるからこそ、一生に一人とだけ付き合うのではなく、ある人と別れた後に他の誰かとまた恋愛できるのではないか、という考え方です。これも偶然性と必然性をめぐる『透明な迷宮』という作品集全体の世界観と関わる問題にほかなりません。

◆文章は物語が押し上げていく

再び【透明な迷宮】より
 その天井の高い、黒一色の部屋で、彼らは全員、全裸で蹲っていた。
 男女六人ずつ計十二人がいて、日本人は岡田とミサだけだった。
 恐らくは意図的に、様々な肌の色の人間が取り揃えられていて、彼らの苦しげな肉体は、白金とクリスタルの塊が宙で爆発したかのような巨大なシャンデリアの光に照らされている。年齢は二十代から四十代くらいまでで、皆ハンガリー人ではなく、岡田たちと同様、欺されたり、拉致されたりして連れて来られた観光客だった。

――この書き出しは、先ほどの≪たった一つのエピソードのために、誰かを愛するのだろうか?≫という文章に繋がっていくと考えてよいのでしょうか。
平野 それだけから始まっているというわけではなく、いくつか要素があります。複数の人物のイメージが頭の中で合わさっていく中で、そこに来た時にどういう一文になるかというのは、物語が押し上げていくようなところがありますね。意味や内容は最初から漠然と考えていても、実際にどういうリズムやタッチの文章になるかは、書いていく中で物語が揉んでいくという感じでしょうか。実は、この小説は、かなり書き直しました。冒頭に限らず、80枚ぐらい書いてボツにしたものもあったし、設定も含めてけっこう時間がかかりました。

◆「分人主義」は基本的な人間観

――かねてから提唱している「分人主義」は、この作品集にも通底していますね。
平野 分人主義は小説のために考えたコンセプトではなく、僕の中の基本的な人間観です。今後の作品で『ドーン』や『空白を満たしなさい』のように改めて説明するページを作るということはないかもしれませんが、常にそれをベースに小説を書いています。今の社会では人間観の大きな変化が起きていると考えているので、これから書く小説も必然的に分人主義という発想が様々な形で反映された物語になると思います。

※分人主義(dividualism)/人間は唯一無二の人格(indivisual)を持つのではなく、対人関係ごとに異なる人格(dividual)を分けることができるという考え方。

――『透明な迷宮』のように構想や設定、さらには文体までもが多彩な短編集は珍しいのではないかと思いました。異なる作家が書いているかのように感じます。
平野 僕は一つの作品で一つの世界を象徴的に圧縮して創ろうとするので、短編でも長編でも一作書くと飽きちゃうというか、もう一回同じようなものを書く気にならないんですよね。だから、一作一作が自ずと違った作品になっていく。それでも、この作品集はまだテーマ性、関連性を持たせた本にしようという意図があって、「姉妹」などのキーコンセプトみたいなものを強調して書いています。昔書いた短篇は、もっとバラバラです(笑)。
 よく僕は人工的に書いていると思われがちですが、実は『日蝕』にしても他の作品にしても、あえてそういう文体にしようと思って書いているわけではありません。その作品世界を考えた時に、自ずとああいう文体やトーンになっていく。つまり、人工的ではなく、葬式に参列した時の話をするのとハワイ旅行をした時の話をするのとでは自ずと喋り方が変わるように、意識しなくても文体やトーンが変わってくるんですよ。

〈つづく〉

eBook Japan
2015年9月 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

イーブックイニシアティブジャパン

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