「徳川家康」が率いた軍団は本当に組織的だったのか――創られた名門家系と忠節軍団の神話を徹底解剖

レビュー

1
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

徳川家臣団の謎

『徳川家臣団の謎』

著者
菊地 浩之 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
歴史・地理/日本歴史
ISBN
9784047035980
発売日
2016/09/28
価格
1,728円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

知られざる忠節家臣団に迫る

[レビュアー] 渡邊大門(歴史学者)

 愛知県といえば、三人の天下人を生んだ土地柄で知られる。三人の天下人とは、もちろん織田信長、豊臣秀吉、徳川家康である。人気の高さは歴史上への登場順で、信長がもっとも高く、家康がもっとも低いのではないだろうか。理由はさまざまなことが考えられるが、信長と秀吉は天下獲りに邁進し、各地の大名と戦って覇権を築き上げた。しかし、家康は慶長五年(一六〇〇)九月の関ヶ原合戦で石田三成らに勝利を得て、「棚からぼた餅」的に天下を獲った印象が強いからだろう。

 ところが、家臣団の忠誠度に目を向けるとどうなるだろうか。信長はたびたび家臣に苛烈な仕打ちをしたので、ついには明智光秀に裏切られた。秀吉は一介の百姓から身を起こしたので、最終的に強固な家臣団を編制できなかった。しかし、家康は違う。家康には「三河武士」と総称される、最強の家臣団が存在した。三河武士は家康への忠誠度が高く、苦難の時代をともに乗り越えた屈強な家臣たちである。本書は表題のとおり、その徳川家臣団の謎を解き明かすものである。

 本書は、一部では松平・徳川氏の歴史について述べ、二部では徳川家臣団の系譜を取り上げている。松平・徳川の両氏に関しては、ベテラン・中堅・若手の優れた研究者に加え、自治体史でも次々と新しい説が提起されている。本書は、そうした最新の研究成果に基づきながら執筆されている。

 著者が指摘するように、「松平・徳川中心史観」により、松平・徳川両氏の歴史は正しく伝わっていない感がある。「松平・徳川中心史観」とは、家康が慶長八年(一六〇三)に征夷大将軍に就任したことから遡及して、それ以前の松平・徳川両氏の存在を特別視する歴史観である。近年の研究は、まさしく「松平・徳川中心史観」との格闘であった。

 本書は先行研究に基づき、「松平・徳川中心史観」の核となる、松平・徳川氏の系譜の謎に触れる。巷間では清和源氏の流れを汲むという両氏であるが、事実は異なる。永禄九年(一五六六)、家康が三河守に任官する際、新田氏の後裔であると称したのがはじまりで、創作といわざるをえない。

 本書の注目すべきポイントは、松平・徳川家臣団のうち、帰属した時期によって分類された「三御譜代(安城譜代、山中譜代、岡崎譜代)」になろう。そのうち山中譜代は謎とされ、比較的小物の諸氏が想定されてきた。ところが、著者は山中城付近の地理的状況や両州の所領分布を考慮し、大物層である内藤、平岩、天野、高力、榊原の諸氏ではないかと考える。この諸氏は、のちに徳川氏の家臣に登用された。

 新説は随所で披露されている。これまで、松平元康が家康に改名した理由は、「元」の字が今川義元から与えられたものであり、桶狭間合戦での義元横死後はこれを嫌ったからであるとの説が主流であった。しかし、著者はこれを批判し、久松長家の「家」を使いたかったからという新説を提示し、のちに長家が栄達を遂げた家康を憚り、名を俊勝に改めたと指摘する。

 以上の点は大変ユニークな説であり、今後、著者の新説に対する議論が巻きおこることを大いに期待したい。

 徳川の軍制は、草創期の家康の時代に「三備(有力家臣を酒井忠次と石川家成を旗頭とする二組に編制し、別に家康直属旗本衆を置くこと)」が構築され、有能な領主が家臣へと取り立てられた。天正十三年(一五八五)には「旗本七備」へと変化し、大久保忠世、酒井忠次、大須賀康高、榊原康政、本多忠勝、井伊直政、平岩親吉が登用される。彼らは徳川家臣団の中核となり、さらに大名へと取り立てられた。著者はこうした一連の流れを、徳川氏の歴史のなかで鮮やかに解き明かす。

 本書は良質な先行研究に基づき執筆されており、手堅い姿勢が窺える。また、著者は膨大な先行研究と史料と格闘し、徳川家臣団の全貌を明らかにした。特に、二部は徳川家臣団を詳しく知りたい方にとっては、良き手引きとなる。多くの方に手に取っていただきたい作品である。

 ◇角川選書◇

KADOKAWA 本の旅人
2016年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

  • このエントリーをはてなブックマークに追加