第二回 ②

ムーンリバー

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前回のあらすじ

越場勝士、52歳。出版社勤務、文芸編集部の編集長。部下の阿賀野鈴は、装幀デザイナーの第一人者で俺も何度も仕事を依頼している阿賀野達郎さんの長女だ。まだ可愛らしい小学生くらいだった鈴ちゃんが部下になるなんて、当時は思いもしなかった。次女の蘭さんは旦那さんを去年事故で亡くしている。そう、あの姉妹は揃って寡婦なのだ。

イラスト 寺田マユミ
イラスト 寺田マユミ

 職住近接。
 もう終の住み処だろうと思っているマンションは、会社の前の坂をだらだらと下っていって、歩いても十分か十五分ほどで着く。便利でいい。古いが家賃も安くていい。男の一人暮らしなんだから、部屋が狭くても充分。
 そう思っていたんだが、最近は狭い部屋がさらに狭くなっている。
 ひょろひょろと背ばかり高くなった息子が、ずっと入り浸っている。というか、住んでいる。
 大学がこっちの方が近いし便利だからと、二年生の後半辺りから転がり込んできてもうそろそろ一年以上が経つ。
 彼がまだ二歳の頃に離婚して、親権は向こうにある。ただ、二十歳過ぎて名実ともに大人である彼が、息子が、士郎しろうがどう生きようがそれは彼の自由なのだ。二十年近くも前に別れた妻も、連絡ひとつで済ませてきた。
(そっちが便利だと言うから、よろしくね)
 そりゃまぁ、二十年経って大人になった息子と話したり飯を食べたりする暮らしができるのなら、それはこちらとしても嬉しいことだったのだが。
 嬉しいが、部屋は狭い。
 士郎は狭くても何も気にならないらしいが、1LDKに大の男が二人なのだ。何をするにしても、机を二つ置くにしても狭い。
 しょうがないので、六人が楽に座れるような大きなダイニングテーブルを買ってリビングにどん、と置き、それを二人の食卓兼作業机にしている。二人で斜向かいに座って半分は君のスペース、半分は俺のスペースというわけだ。
 土曜日。
 心臓クリニックで、年に一回の検診という名の苦行。
 血液採取から始まって、レントゲンにエコーにCTとフルコース。
 四年前にやっちまった心筋梗塞は軽いもので、心臓近くの血管にステントなるものを入れるだけの簡単な手術で終わったんだが、そこで判明したのは、その軽い心筋梗塞を少なくとも二、三回は今までにも起こしていた、という診断結果。
 その時、俺は気づかなかったらしい。なんか胸が苦しいな、ということで済ませてしまってそれ以上のことが起こらなかったから大事には至っていなかった。
 その結果、現在俺の心臓の三分の一は機能停止状態になってしまった、らしい。筋肉が死んでしまっていて二度と復活しない、と、先生は言った。
 まぁ余程のことをしない限りもう三分の二は生きていますから、日常生活には支障はありません、そういうことらしい。心臓が悲鳴を上げるほどの激しい運動はご法度。せいぜいがウォーキング程度。
 実感したのは、マンションのエレベーターが壊れて、六階から一階までの階段を往復したときだ。これぐらいは大丈夫だろうとやってみたら、復路で六階に辿り着く前に身体が動かなくなった。
 身体が反応した。心臓というポンプの動きが悪いから、無理させると身体に血が回らなくなるのだ。痛いとか辛いではなく、単純に身体が動かなくなる。電池が切れる手前の玩具みたいだった。
 それ以来、運動はウォーキングだけにしている。まぁそもそも運動好きでもないし。
 そして、今年の検診もとりあえずオールクリア。酒は元々そんなに飲まないが、煙草は止められない。ただ、煙草も実は吹かしているだけのタイプなので、喫煙者の割りには肺もきれいなものだとのお墨付き。
「ただいま」
「お帰り」
 夕方になって帰ると、テーブルの士郎のスペースには昔の、印画紙にプリントした写真が所狭しと並べてあった。ほとんどは、あったら見せてと言われて、しまい込んでいたのを出したものだが。友人やその親から貸してもらったものもあるらしい。
 昔のプリント写真と最近のデジタル写真の構図やら撮る人の意識やら写る人の意識やら。そういうものを比較検討していろいろと考察をしていくらしい。
 社会のフィールドワークの一環で、まぁそんな大学のレポートを休日であるはずの土曜日にも家でやってるというのは、真面目で非常に素晴らしいことなんだが。
 休日は遊ぶものじゃないのか、と。
 俺に似ていれば間違いなくそうのはずなんだが、母親に育てられて彼女の真面目なところが似てしまったのか。