わたし、定時で帰ります。2

わたし、定時で帰ります。2

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「会社ってのは複雑なものなんだよ、種田くん」
 石黒は葉巻のようなものをくわえ、バリバリと噛み砕いています。
「仕事しかない寂しいキミにはわからんだろうが、職場では交わらない人間関係がプライベートでは濃厚に絡み合う。そういうことが往々にしてあるもんなんだよ」
 よく見たら葉巻じゃなくてヨックモックのシガールです。パフェに刺さっていたらしいそれを幸せそうに食べている石黒を一瞥いちべつして、晃太郎が言いました。
「糖分とりすぎたらまずいんじゃないですか」
「あ、大丈夫。このパフェ、ヨーグルトだけで作ってもらってんの。でも種田にたしなめられるってなんかいいな。ユイユイにされるよりゾクゾクしちゃう」
 石黒から目をそらし、晃太郎は運ばれてきたグラスを持ちました。
「じゃ、メンバーも揃ったようなので、とりあえず乾杯しましょうか」
 上長と部下に挟まれたせいか、中間管理職のスイッチが入ったのでしょう。乾杯を仕切ってから晃太郎はグラスをスポーツドリンクのように飲み干しています。そういえばシャワーを浴びてから何も飲んでなかったですね。グラスが置かれると、来栖が言いました。
「実は僕たちみんな甘露寺かんろじさんによってここに集められたんです」
「甘露寺に?」
 甘露寺まさるは入社一年目の晃太郎の部下です。自称大型ルーキーなのだそうです。
「お前ら、一週間後に結婚式やるんだってな」
 石黒に言われ、ビールを飲んで、少し弛緩していた晃太郎の心拍数が乱れました。
「ごめん、泰斗に話しちゃった」と言ったのは柊です。「そしたら泰斗が賤ヶ岳しずがたけさんに言っちゃって。あ、グラス空いたね。すみません、この人にハイネケン」
「黙ってろって言ったのに」晃太郎は部下の顔になって石黒に向き直りました。「…その、ご報告遅れてすみません。急遽きゅうきょ親族だけでやることになりまして」
「だってね。おシズが残念がってた。ユイユイの晴れ姿見たかったって」
 石黒のいうおシズとは、賤ヶ岳八重やえという結衣の先輩社員のようです。
「熱海の老舗温泉宿でやるんです!」と身を乗りだしたのは柊でした。「準備期間が一ヶ月しかなかったし、お酒飲みたいから花嫁衣装は着ないって結衣さん言ってたんですけど、コーニーに俺が見たいから式と披露宴の間くらい我慢しろって言われたらしくて、お母さんの白無垢を着ることに。といっても、髪はやわらかい感じの洋髪にして、現代的にアレンジするんですって。あ、衣装合わせの写真、結衣さんに送ってもらったんだけど、泰斗、見る?」
「情報提供しすぎ。写真も見せるな」晃太郎が柊をにらんでいます。
「僕、見なくていい。そういう浮かれポンチな写真、姉たちの時に一生分見せられたので」
「俺もいいわ。だが、おシズはユイユイの新人時代の教育係だからな。なんかしらの形でお祝いしたいって張り切りやがってさ。急遽、制作委員会が立ち上がったというわけ」
「制作委員会…何の」と、晃太郎が来栖に尋ねています。
「お二人の馴れ初め再現映像の制作委員会です。披露宴で流す定番のやつ。できれば東山さんへのサプライズにしたいそうで、種田さんの承諾とってこいって言われてきました」
「披露宴たって」晃太郎は困惑気味です。「飯食うだけだよ。会場はそんな広くもない和室だし、映す設備もないかもしれないし」
「あ、それは僕がすでに確認済みでーす」柊が手を挙げました。「液晶テレビがあるらしいんだけど小さめなんだよね。だから壁に映す。プロジェクタのレンタルを手配しといた」
 弟の手によってすでに外堀が埋められているらしいことに動揺している晃太郎の前に、
「企画書はこちらです」
 来栖がAndroidを差し出しています。
「立案は甘露寺さん。脚本も総監督も甘露寺さん。ちなみに種田さん役も甘露寺さん。あと東山さん役も甘露寺さんです。主役のお二人を一人で熱演するそうです」
「それ…親族の前で流していいやつなのかな」