「戦争と広告」─国民国家の宿命

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戦争と広告 第二次大戦、日本の戦争広告を読み解く

『戦争と広告 第二次大戦、日本の戦争広告を読み解く』

著者
森 正人 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
社会科学/政治-含む国防軍事
ISBN
9784047035836
発売日
2016/02/23
価格
1,836円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

「戦争と広告」―国民国家の宿命

[レビュアー] 加藤聖文(国文学研究資料館准教授)

 私たちが住む日本は、近代になって誕生した国民国家である。国民国家というものは自然発生的に生まれたものではなく、人工的に創られたものである。その起源は、フランス革命というのが定説となっているが、世界的に広まったのは一九世紀以降のことで、日本の明治維新もそういった世界潮流のなかで起きたと位置づけられる。

 国民国家というのは、構成員となる人々が民族性や地域性を超えた国民意識なるものに目覚めて、共同体構成員としての連帯感を抱くことによってはじめて成立するといえるが、そのような意識は、人々の内面から自覚的に芽生えるのではなく、外部からの大きなインパクトによって急速に形作られる。

 そして、その大きなインパクトとは「戦争」である。フランスやアメリカ、そしてドイツやイタリア、さらにはソ連や中国など世界各地の国民国家は、すべて戦争(防衛・独立・統一などさまざま)によって生まれた。戦争という人間の生命に関わる脅威は、人々にナショナリズムという防御的攻撃性を芽生えさせ、敵と味方を明確にし、「敵」と戦う人々のあいだに「国民」という一体感を創出させる。江戸時代までは国民意識などは微塵も存在しなかった日本も、維新期の国内統一戦争から日清・日露戦争という対外戦争を経るなかで国民としての一体感が創り出されていった点では世界史的に共通するパターンといえる。

 このように国民国家は内発的要因よりも外発的要因によって急速に創り出される「想像の共同体」であるから、内実は極めてもろいものでもある。民族を超えた国民国家を標榜したソ連やユーゴスラビアがあっけなく崩壊してしまった例の他にも、最近ではイギリスでのスコットランドやスペインでのバスク地方における独立をめぐる動きなど枚挙にいとまがないだろう。

 したがって、こんなもろい国家を維持するためには、国民国家ができあがった後も戦争といった強烈な刺激がもっとも有効であって、それに合わせて国内では常に一体感を醸成させるようなさまざまな仕掛けが繰り出される。しかも、二〇世紀になるとメディアが急成長、写真や映像など広告媒体の発展にともない、これらを通じたプロパガンダ(本書では広告)が重要な役割を果たすようになった。それは時代を経るごとにますます巧妙かつ精緻になっている。本書が向き合った戦争のプロパガンダには、国民国家を維持するためという背景が横たわっている。

 戦争を聖戦として肯定することは当然として、戦場や銃後の場において性別も年齢も超えた国民としての一体感が求められる。しかも、伝える内容は画一的でわかりやすい価値観でなければならない。また、国民とは民族性を超えたものなので、植民地の朝鮮人や台湾人も日本人とともに大日本帝国を支える国民――すなわち帝国臣民という自覚を持たなければならない。

 このようなプロパガンダは、本書では触れていないが中国でも抗日戦を支える国民としての自覚が繰り返し強調されたし、第二次世界大戦に参加した諸国では、連合国も枢軸国も同じようなことが大々的に行われた。

 むろん、こうしたプロパガンダは時代を超えた普遍的価値や思想的深みは微塵もないので、賞味期限は極めて短い。本書で紹介された戦時中のプロパガンダは、当時の人々への影響力は強かったものの、現在の私たちには何の刺激も与えないし、滑稽ですらある。それだけプロパガンダというものは同時代性が強く、空間を共有していない人々(現在の私たち)にその意図を伝えることはなかなか難しいといえる。

 ただ、国民国家という社会構造が変わらない限り、プロパガンダの基本構造も変わらないため、本書で分析されているように、時代が変われば別の形で再生産される。ということは、過去のプロパガンダに違和感を覚える人々も現在のプロパガンダには少なからず影響を受けている。私たちは、好むと好まざるとにかかわらず国民国家の一構成員である以上、常にそのことを宿命として自覚していかねばなるまい。

KADOKAWA 本の旅人
2016年3月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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