新たな旅立ちの前夜に【自著を語る】

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70歳! 人と社会の老いの作法

『70歳! 人と社会の老いの作法』

著者
五木 寛之 [著]/釈 徹宗 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784166610846
発売日
2016/08/19
価格
842円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

新たな旅立ちの前夜に【自著を語る】

[レビュアー] 五木寛之

 釈徹宗さんは大学の先生である。大学で教えておられるということは、学者であるということだ。さらに釈さんは僧侶である。如来寺というお寺の御住職である。それだけではない。認知症高齢者のための「むつみ庵」というグループホームを運営し、みずから入居者のケアをし、みとりまでなさっている。それにくわえて釈さんはジャーナリズムの世界でさまざまな発言もされている。その活動を遠くから見ていて、「孫悟空」みたいな人だ、と思っていた。孫悟空が本当はどういう存在かは知らないけれども、私は子供の頃、絵本や物語の中に出てくる孫悟空に憧れを抱いていたのだ。アメリカのスーパーマンとちがって、どことなくユーモアがある。親しみやすいヒーローだった。

 そんな釈徹宗さんが一冊の本を書かれた。『死では終わらない物語について書こうと思う』(文藝春秋)という長い長い題名の本である。私も新人としてデビューした頃、やたらと長いタイトルをつける作家として散々からかわれたものだ。それまでは『土』とか『こころ』とか『雁』とかいった作品名が尊敬されていたのである。しかし、『蒼ざめた馬を見よ』だの『海を見ていたジョニー』だのといった当時の私の小説の題名をはるかに上まわる超長い題名の釈さんの本には、読む前からカブトを脱ぐ気持ちがあった。そして読後、カブトどころか、首まで差しだしたくなる気持ちをおさえることができなかった。

 この本の中で釈さんが追求されているのは、死を終わりとするのではなく、そこから始まる世界に思いをはせることである。古くから伝わる「往生伝」をテコに、釈さんは日本人の「死」に対する意識下の世界を鮮やかに分析してみせてくれる。分析の果てにおのずと現れてくるものがある。それが死後の世界への想像の旅だ。

 戦後七十年、私たちは生きることに必死になってきた。目を三角にして生き急いできたのである。戦争の時代に、お国のために死ぬことだけを考えてきた反動だろう。「立派に死んで参ります。必ず金鵄(きんし)勲章を受けます」と誓って、この国の青年たちは出征していったのだ。暁烏敏(あけがらすはや)、藤原鉄乗(てつじょう)とならんで清沢満之(きよざわまんし)の北陸の弟子の三羽烏の一人といわれた高光大船(たかみつだいせん)は、出征に際して別れに来た青年が、「では、言って参ります」と挨拶したことを咎(とが)めて、「行って参りますとは、生きて帰ってくる気か」と叱ったそうだ。死ぬことが国民の義務とされた時代の空気を物語る挿話として曾我量深(そがりょうじん)が語っているエピソードである。

 それほど「死」は、明治以来、この国に充満していたのだ。敗戦によって、その空気は一挙に吹きはらわれた。そして「生きる」ことをひたすら追求して七十年が過ぎた。

 いま、声にならない声、音としてはきこえない音が静かに迫ってくる感じを受けるのは、私だけだろうか。見えない津波のように押し寄せてくるのは、「死」という現実である。

 私たちはいま再び「死」を意識しはじめている。それは、お国のためでもなく、世界のためでもない自分自身のための死の確認ではあるまいか。「われ一人のため」の死。

 死後の世界は、だれも語ることができない。そこへ行って再び生の世界へもどってきた者がいないからである。ブッダは死後について口をとざしかたろうとしなかった。「無記」という表現でそのことは伝えられている。しかし世界は常に見る者によって見られる者が存在する。「生」が「死」を前提にしてあることは自明の理だ。すなわち私たちは死に対してさまざまな想像力を働かせることによって、現実の生をいきいきと実感できるのである。

 釈さんは「死」を語るために「死後」の世界に踏みこむのではない。私たちの現実がより切実に、より深味をますために、反対側の世界を語ろうとするのだろう。

 この対話の中の釈徹宗さんは、まさに私が子供の頃に夢見た孫悟空のイメージそのものだった。仏教に関する思索が、ときには落語の世界に飛び、ときにはアジアの民の現実に触れ、ときには枕経を読むエピソードとなり、縦横無尽にキン斗雲(キン=角へんに力)に乗って飛翔するさまは、私にとってまさに未体験ゾーンにいざなわれる実感があった。

 私はこの対話の中で、何度となく不謹慎な表現や言い回しをしている。しかし、それは本当のことを言わない、言わせない世界への苛立ちのなせるわざである。若い釈さんが老人の短気を自在になだめすかしてくださったからこそ、この対談は成ったとあらためて思う。私たちは今、新しい旅立ちの前夜を迎えているのだ。この一冊が、そのスタートの合図になれば、と心から願っている。

五木寛之(いつきひろゆき)
1932(昭和7)年福岡県生まれ。生後間もなく朝鮮に渡り、47年引き揚げ。52年、早稲田大学文学部露文科入学。57年に中退。編集者、ルポライターなどを経て、66年『さらばモスクワ愚連隊』で第6回小説現代新人賞、67年『蒼ざめた馬を見よ』で第56回直木賞、76年『青春の門筑豊篇』ほかで第10回吉川英治文学賞を受賞。81年より一時休筆して京都・龍谷大学に学んだが、のち文壇に復帰。2002年には第50回菊池寛賞を受賞。著書は『蓮如』『大河の一滴』『他力』『親鸞』『はじめての親鸞』『選ぶ力』『杖ことば』等多数。

釈徹宗(しゃくてっしゅう)
1961(昭和36)年生まれ。宗教学者・浄土真宗本願寺派如来寺住職、相愛大学人文学部教授、特定非営利活動法人リライフ代表。専攻は宗教思想・人間学。大阪府立大学大学院人間文化研究科比較文化専攻博士課程修了。その後、如来寺住職の傍ら、兵庫大学生涯福祉学部教授を経て、現職。『死では終わらない物語について書こうと思う』『法然親鸞一遍』『宗教は人を救えるのか』『いきなりはじめる仏教生活』『仏教シネマ』(秋田光彦との共著)『聖地巡礼 ビギニング』(内田樹との共著)等、著書多数。

文藝春秋 本の話WEB
2016年8月30日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

文藝春秋

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