『所有論』鷲田清一著

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所有論

『所有論』

著者
鷲田 清一 [著]
出版社
講談社
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784065342725
発売日
2024/02/01
価格
3,300円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『所有論』鷲田清一著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

権利の主張 越える試み

 「所有論」と三つの漢字が並んだ題名に、いかめしいものを感じて敬遠したくなる人もいるかもしれない。日本語の通常の会話のなかに「所有物」とか「所有権」とかいう言葉が登場するとき、それはたいてい、他者による侵害から自分の権利を守るとか、おたがいの権利主張の調整とかいった、とげとげしい争論の場面である。

 しかしこの本の表紙には「sho yu ron」と、アルファベットで記された読みが、ひかえめな大きさ、しかもすべて小文字で印刷されている。「所有」という観念的な名辞を、「しょゆう」さらには「もつ」という柔らかな響きへ分解しながら、開かれた意味をとりだすこと。鷲田清一は近現代の哲学史を広く再検討しながら、その試みに挑んでいる。

 日本語でも「体がもつ」「身持ち」といった言葉があるように、その人が存在することは、何かを「もつ」ことと重なっていると見なすのが、西洋哲学の伝統であった。とりわけ、ジョン・ロック、ジャン=ジャック・ルソー、G・W・F・ヘーゲルといった近代の哲学者は、みずからの身体やほかの物を「もつ」ことを人間理解の根底においた。そこから、個人の所有権の確保を絶対的な前提として、他者との間の衝突と支配の関係を正当化する社会観が成り立ち、今では重い閉(へい)塞(そく)感を世界にもたらしている。

 鷲田はこれに対して、ロックやヘーゲルの思想にかいま見える「裂け目」に注目し、精神分析学や人類学の見解も引きながら、近代的な理解をこえる「所有」の理論を模索する。「所有」は本来は一方的な支配の関係ではなく、人と物、また周囲の他者との関わりのなかで生じる出来事であり、現在もっているのは、環境から預けられた、未来の人々に向けて「分ける」べき物である。思考をていねいにたどることで、社会と人間、さらに自分というものの存在について、固定した考えが解きほぐされ、新たな展望が開けてくる。(講談社、3300円)

読売新聞
2024年4月12日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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