豊崎由美は山崎ナオコーラの『美しい距離』に心の芥川賞を贈らせていただきます
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
というわけで、第155回芥川賞は村田沙耶香『コンビニ人間』が受賞したのですが、その結果については「文学賞メッタ斬り!人間」のトヨザキも不満はございません。
〝普通〟を押しつけてくる世界の残酷さに対峙し続けてきた村田さんにしか書けないこの作品は、お仕事小説の意匠をまとっているがゆえに、これまでの作品と比べると断然読みやすい。ヒロインのようなコンビニで働く人間を小バカにし、自分の非モテと不遇の因をすべて縄文時代に求める白羽というダメ人間を投入して以降は、笑いを伴いながら世間のクリシェを一蹴しつつ、よくある成長小説のようにはヒロインが新しい心境を得ることもない展開を見せ、最後はアンチビルドゥングスロマンとして着地。にもかかわらず、不思議な爽快感を読後に残す。村田作品の美点ばかりが散見される素晴らしい小説になっているんです。
ただ、川上弘美選考委員が代表選評で報告した「最初に高橋弘希さんの『短冊流し』、そして山崎ナオコーラさんの『美しい距離』が落ちました」という選考過程に関しては文句ありまくりです。
高橋作品は、まあ、しかたない。書いた本人だってノミネートに驚いたのではないかというくらい、これまでに芥川賞の候補に挙がった2作と比べて成果が見られない習作どまりのこの作品を、本選に上げた下読み委員がおかしいわけで。が、しかし、山崎ナオコーラの4年ぶり5回目の候補となった『美しい距離』は、最初に落とすような見込みのない小説ではありません。ステージの進んだがんを患う妻の看病をする夫の内面を描いたこの作品は、闘病にともなうありきたりで古い物語から、一人ひとりの固有な生と固有な死を救い出す新しい物語になっているからです。
本当はもっと世話をしてやりたい。でも、できることは自分でやりたい妻の性分を理解している語り手は、決して自分本位に動いたりはしない。読んでいて切なくなるほどの気配りの人である夫は、時々、病気にまつわるありがちゆえに無神経な言葉や対応に違和感を覚えもする。そうした語り手の内面で波立つ気持ちのいちいちを、作者は丁寧に拾って描いていくんです。
〈子どもには恵まれなかったが、豊かな十五年間を送ってきた〉同い年の妻との間の、出会った日から近づいていった距離。妻をどう看病すればいいか迷うたびに少し離れたって、思いきって爪を切らせてもらえば、〈ぷちんぷちんという音に夢中になる。ぎょっとするほど楽しい。この愉悦はなんだろう。〉と、すぐに縮まる距離。死後の時間が進むにつれ、離れていく一方に感じられる距離。でも─。
〈遠く離れているからこそ、関係が輝くことだってきっとある。/今は、離れることを嫌だと感じている。でも、嫌でなくなるときが、いつか来る。そんな予感がする〉
人との距離は、生きている間だけでなく、たとえ相手が死んだ後でも動き続ける。その動き続ける関係こそが愛なのだということを伝えて胸を打つ。トヨザキから心の芥川賞を贈らせていただきます。
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『美しい距離』
限りある生のなかに発見する、永続してゆく命の形。妻はまだ40代初めで不治の病におかされたが、その生の息吹が夫を励まし続ける。世の人の心に静かに寄り添う中篇小説。文藝春秋。1458円