それは、違う、って鈴ちゃん。
「あなた普通の離婚と混同してる。私みたいに離婚した場合は、名字を変えた人間は元の戸籍に戻ってもいいけれど、離婚と死別は違うの」
「違うの?」
「死別イコール離婚じゃないのよ。死別しても名字はそのままなの。届を出して元の名字に戻りますから、ってしない限りはね」
「どういうこと?」
「つまり、晶さんとの婚姻関係は死別したことで解消されて蘭は独身者に戻るけれども、真下晶さんと作った戸籍はそのままってことよ。だから名前は変わらないの。今も真下蘭のまま」
 へえぇーって陸が驚く。
「三十数年生きてきて全然知らなかった。え、鈴は離婚経験あるから知ってて当然だけど、蘭も知ってたの?」
 知ってた。
「いや、実は私も知らなかったけれど、半年ぐらい経った頃かな。真下のお義母さんが教えてくれた」
 お父さんとお母さんが同時に頷いた。
「実は私もお父さんも知らなかったのよ離婚と死別は違うって。調べて、六十七歳にして初めて知ったわ。人生幾つになっても勉強だわって」
「鈴の場合は離婚だったからな。その辺はいろいろ確認したが、死別のところまでは詳しく見なかったからな」
 何でも経験よね。
「え、ってことはね、待ってよ。優はどうなるの? もしも蘭が元の姓の阿賀野に戻りますって届を出したら、優も阿賀野になるの? あの子は最初から真下だけど」
「それも、自動的にはならないの。優の戸籍も阿賀野にさせたいときには、また別の届が必要になるの。けっこう複雑なんだよ」
「そうなんだね」
 実は、ややこしいんだ。死別の場合は。
「単純に、旦那さんが死んじゃったのなら、そのまま元の戸籍に戻るもんだと思っていたけど」
「違うのよねー」
 鈴ちゃんが溜め息をつく。いろいろ思い出したんだね。離婚したときのこと。
「姻族関係とかも、あるのよね」
 お母さん。
「姻族関係?」
「姻族であることを止める場合にも届を提出しなきゃならない。つまり、もし、蘭が他にいい人を見つけて結婚したときには、子供である優もそっちの戸籍に入れて、真下家との姻族関係を終了させないと、ややこしくなるでしょ? それこそ扶養義務とか、財産分与とかあった場合なんかには」
「あー、なるほどね」
 本当に、もしもそうなったのなら、いろいろとやらなきゃならないことはたくさんあるんだ。やる前に、考えなきゃならないこともたくさんある。
「じゃあ」
 そう言って、陸が何か考えている。
「これはジョークにするんだけど、蘭はそのまま真下家にいて、響くんとか、翔さんとかと結婚しちゃったらものすごく楽ってことだね?」
「それは」
 ブラックジョーク。でもないのか。そもそもジョークにしていいことなのか。いいのかな。
 鈴ちゃんが、唇を尖らせた。
「結婚自体はおめでたいことだから、まぁジョークにしてもいいけど、ちょっと今の段階では無神経なジョークになるよ陸」
「いや、無神経かもしれないけれど、ある意味では有意義なアドバイスにならない? だってね、このまま真下家の嫁としてずっといても、それは蘭が望むことならいいんだけど、響くんも翔さんも独身だよ? 蘭がそのままいてどっちかと結婚なんてことになったら、それはなし崩しってことになっちゃわない?」
 なし崩し。
「もしもの話だけれども、充分に可能性のある話だよね? 翔さんは離婚したばっかりで、響くんは今カノジョいないでしょ?」
「そう、みたいだね」
 いないらしい。十分に素敵な男性だと思うのに、いないのはどうしてなのかわからないけれども。
「そして蘭は別に二人のことを嫌いじゃないでしょ?」
「もちろん」
 愛した人の、兄と弟。そもそも嫌いなんていう感情はどこにもない。
「二人とも、いい人だと思ってるし。優も懐いているし。まだ翔さんには懐いていないけれど」
「なんで懐いてないんだ」
 お父さんが訊く。
「わからないけれども、たぶん、翔さんの方が、晶さんにそっくりだからじゃないかな。優は戸惑っているというか、何かそういう感じ」
 これから、きっと懐いてくれると思うけど。
「別にそれが悪いって言ってるんじゃなくてさ。そういうのを避けるためには、一度きちんと真下家とさよならした方が、お互いのためなんじゃないのかな、ってボクは思うな。だって、ボクはゲイだけど、普通の男の子が蘭みたいな可愛い女の子と一緒に住んでいて、好きにならない方がムズカシイと思うよ? いくら兄の嫁、弟の嫁だった人だとしてもね」
 皆が、難しい顔をして考えてしまった。
「まぁもう一年経っているから、遅いかもしれないけどね」

(つづく)
※次回の更新は、4月25日(木)の予定です。