第三回 ②

ムーンリバー

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前回のあらすじ

真下翔、30歳。事務機メーカー営業。妻の浮気をきっかけに離婚して実家に戻り、弟の晶が事故で死んでから、一年が経った。晶の妻・蘭さんと息子・優は今も真下家で暮らしている。晶が愛しい人、という気持ちは蘭さんの中にそのまま残っている、はずだけど、これから一体どうなっていくんだろうなって考えている。晶が消えちまった日からずっと。

 一周忌が終わった。
 俺が実家に帰ってきて、半年も過ぎた。
 今日は蘭さんは優を連れて、里帰りしている。
 里帰りってのは大げさか。立川市も同じ東京なんだから、単純に実家に顔を出しに戻っている。
 親父とおふくろが、そうさせたらしい。一周忌も終わったんだし、一度実家の皆さんとゆっくり話をしてきた方がいいって。
 正解だよな。そういうところ、うちの親もさすが商売をやっているだけあって。サラリーマンをやると、よくわかる。商売人と雇われ人の資質の差っていうか、人となりの違いが。
 商売人には、気持ちをおもんぱかるってことを息をするようにできる人が、なっているもんなんだと思うよ。まぁ雇われ人がそうじゃないってことでもないけどさ。自分で商売をやろうって思える人は、大抵はそういう人なんだ。
 今日の晩飯も、総菜の残りものだろう。いやその言い方は悪いよな。美味しく作ってお客様に売っていたけど余ってしまった商品。メインはアジフライかな。他にもやたらたくさん少しずつある。カボチャの煮付けやポテトサラダや野菜の天ぷらやメンチカツや。とにかくおかずには、総菜には事欠かない。
 一度結婚して実家を出て、他人が作る飯を食ってきたからよくわかる。うちの飯は、総菜は旨い。マジで美味しい。こういうのを生まれてからずっと食べてきたんだから、そりゃあ舌も肥える。
 離婚したから、されたから言うわけじゃないけれど、元妻の作る飯はイマイチだった。そう思っていた。ひょっとしたら、そういうのも妻が浮気した原因のひとつなのか、とはちらっと考えた。口には決してしなかったけれど、顔や態度にちょっとしたものが出ていたのかもしれない。俺はそういう人間なのか、とも。
 まぁもうどうでもいいことだけど、響には念のために教えておこうと思う。
 優がいないから、閉店後に晩飯を食べるのも随分久しぶりなんだと思う。
 俺も独身の、晶がいた頃は五人いた食卓が、四人になっている。蘭さんも優もいないと、静かだ。
「翔は」
「うん?」
 親父が口を開く。
「まったく構わないんだが、このままずっと家にいるのか?」
 それね。
「何かない限りは、そういうふうになるかな、とは思ってる」
「何か、ってまた結婚とか?」
 響が言う。
「それもそうだね。ないだろうけど違う街に転勤とかあるいは転職とかさ。大きな出来事がない限りはいるかなぁ」
 家賃掛からないしな。そして職場は近くなって部屋は空いているんだし、一人暮らしをする理由がまったく見当たらない。
「そう、それで思い出したけどさ」
 うん? って親父もおふくろも、響も俺を見た。
「蘭さんをさ、一度阿賀野あがのさんに戻した方がいいよ。戻すってのは、実家に帰すってことも含めて全部まるごと」
「まるごと、って? どういう意味」
 響が少し眼を細めた。
「戸籍を阿賀野蘭さんに戻して、優も同じく阿賀野優にするってこと。いろいろと手続きが必要になるんだろうけど、この真下家とはお別れさせるという意味で」
「え、どうして」
 親父とおふくろはおんなじような微妙な顔をして首を少し捻る。この夫婦いちいち同じ仕草をするんだよね。似た者夫婦って本当にあるんだよな。
「たぶん、蘭さんはさ、このままここにいてもいいです、とか言うのかもしれないけどさ。この家には俺も響もいるんだよ。独身の男二人がさ。そこに若き未亡人もずっといるっていうのは、そもそも良くないだろう」
 おふくろが、顔をしかめる。
「あなた達はそんな変なことしないでしょう」
「いや、そういう意味じゃない」
 言うかもって思ったけど言ったか。