第三回 ③

ムーンリバー

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前回のあらすじ

真下翔、30歳。事務機メーカー営業。離婚して実家に戻ってきた。弟の晶が事故死して1年経った今も、晶の妻・蘭さんと息子・優は真下家に住んでいるが、この週末、2人は実家に里帰りしている。だから俺は、両親と弟の響と4人で過ごす久しぶりの夕食の席で、「お互いに、新しいスタートを切りましょう」と蘭さんに伝えようと、皆に言ったんだ。

阿賀野すず 四十歳 文芸編集部 編集

 昼休みの時間、というものは一応就業規則にはあるはずなんだけど、たぶんどこの出版社でもそんなのはあってないものになっている、はず。
 それぞれが、それぞれの時間で昼ご飯を食べるし、食べない人もいるし。
 入社した頃には、同期の仲間を誘ってこの辺にたくさんある食事の店を選んで行って、話に花を咲かせる昼休みを過ごしていたけれど、一年も経たないうちになくなってしまっていた。それぞれ抱えている仕事もその進捗もスケジュールもバラバラになっていっちゃうから。
 皆に唯一共通しているのは、仕事に支障がないならば、一般的なお昼休みの時間を避けて一時過ぎとか二時ぐらいに食べに出るってことかな。ほぼ自由に昼の時間を取れるのなら、わざわざお店が混んでいる時間に行くことはない。
 空いているときに、ゆっくり食べる。読まなきゃならない、あるいは絶対に読みたい本を持っていくのも、編集者にはありがちなこと。
「阿賀野さん、昼はこれからか?」
 目の前の机についていた越場こしばさんが、立ち上がりながら言う。
「はい、そうですね」
 ちょうど一時を回っていた。そろそろ食べてしまおうか、それとも三時にはかしわさんの事務所に行かなきゃならないから、その出がけにさっと済ませようかってちょっと前に考えていたところだった。
「どうだ、たまには一緒に食べるか。俺は〈しろしたや〉の親子丼食べたい」
「あぁ」
 美味しいですよね〈しろしたや〉。どうしようかな、いったん戻るのも面倒だから、このゲラ持って出て時間余ったらどっかでコーヒー飲んでやっつけて、そのまま柏さんのところに行けばいいか。
「二分待ってください」
 片づけて、ご一緒します。

 たまに、ある。ならしてしまうと二ヶ月か三ヶ月に一回ぐらいな感じになるかな。編集長であり直属の上司に当たる越場さんと一緒にご飯を食べること。
 もちろん他の人も一緒にいることも。今日はたまたま私しかいなかったからなんだろう、って思っていた。
 でも、〈しろしたや〉でテーブル席に座って注文して、おしぼりで手を拭いているときに、あれひょっとして何か話があるのかな、って感じた。
 そんな雰囲気の顔をしてる。
「蘭さん、帰ってきていたんだろう?」
「あぁ、そうです」
 優の幼稚園があるから、昨日のうちに真下の家に戻りました。
「あれか、何かそういう話をしたのか。今後のことについて」
「そう、なりますね」
 蘭は、何かを決めるために、あるいは報告するために来たわけじゃないと思うけれども、結果的にはそれをはっきりさせた方がいいんじゃないかって話になっていった。
りくが、言い出したんですけどね」
 このまま真下家にいて、もしも家にいる晶くんの兄と弟、翔さんと響くん、どちらかと再婚するようなことになってしまうのは、それはなし崩しみたいなことになって、ちょっと違うのではないかって。
「なし崩しね。なるほど」
「ちょっと違う、って感覚頷けますか」
 同じ男として、陸はゲイだから感覚的には違うのかもしれないけれど。
 訊いたら、越場さんは届いた親子丼に箸をつけて、うん、って頷いて一口運んで食べる。 私は、親子丼ハーフ。ここのは本当に熱々なので少し置いてからじゃないと。
「まぁどう感じ取るかは人それぞれだろうけどな。離婚経験のある中年男としては、そのなし崩し感は確かに駄目だな、とは思う」
「駄目ですか」
 駄目というか、って続ける。
「もしも、その晶くんのお兄さんか弟くんか。どちらでもいいけれど、蘭さんのことを現段階で憎からず思っているんだったら、本人たちにとっても良くない」
 翔さんと、響くんが?
「それは、あり得なくないですか?」