■4-6 よく考えると同一性は問題ではない

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

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前回のあらすじ

「そうか、遊水地か。雨が降ったときに、増水した川の水を一時的に貯めておく土地だよ」どこかに地名を記した看板でもないだろうか、と俺が周囲をぐるりと見渡すと、「あら、どうしたの?」とハルさんが言い出した。

イラスト/土岐蔦子
イラスト/土岐蔦子

■4-6 よく考えると同一性は問題ではない

 時系列を整理する。
 1959年の洪水で流された家族(名前不明)の友人・後藤ごとう三郎さぶろうさんは、1960年の事故で亡くなった。その後、彼の家があった場所が、なぜか遊水地になっている。まさか後藤さんの家が原っぱの上にぽつんと建っていたわけではないだろうから、このあたりはかつて住宅地で、それが何らかの理由で遊水地になった、ということになる。
 となると問題は、この遊水地は、いつ、誰によって作られたのかだ。防災用の設備であれば普通は公共物だから、国や自治体が絡みそうなものだが、この土地にはそういう役所的な痕跡がひとかけらも見当たらない。ただの見捨てられた土地、といった雰囲気だった。
 俺がそんなことを考えているうちに、西田にしだがおもむろにカバンを開けて、折りたたみ式のスコップを取り出した。見覚えのあるスコップだ。俺たちが埋蔵金探しをしていた頃に、毎日持ち歩いていたものだ。
 西田はそれをさっと振り上げると、ザッと地面に突き刺した。
「は?」
 俺は思わず声を出した。
「いや、何してんだよ」
「何ってなんだよ。おれたち、埋蔵金を探しに来たんだろ?」
「え?」
 いくらなんでも無計画すぎないか、と思っている間にも、西田はまるで取り憑かれたかのように、なんの迷いもなく腕を上下に振っていく。あまりのその真っ直ぐさに、
…土地所有者に許可とかさ」
 という言葉が漏れたが、その間にも掘り返した土がどしどしと積み重なっていく。
「ちょっと確かめるだけだろ。何もなかったら後で埋めりゃいい。つーかゆたか、お前も手伝えよ」
 と言って、西田はもう1本スコップをカバンから取り出した。そちらも見覚えのあるスコップだった。そうだ、確か埋蔵金探しを始めた頃、ひいばあちゃんの家にあった2本のスコップを借りてきたのだ。なくしたと思い込んでいたが、2本とも西田が持っていたのだ。
 2人で土を掘り続けた。何かがおかしかった。今この場所に穴を掘るのがさも当然であるように、現実のルールが改変されたような気がした。振り返ってハルさんの姿を探すと、彼女はいつの間にか遊水地の縁の、川のそばにひとりで立ち、下流を見つめている。
 折りたたみ式のスコップは、19歳の男が使うにはあまりに貧相だったが、遊水地だけあって土はずいぶん柔らかい。あっという間に膝より深い穴ができた。その間に金属製のパイプ、植木鉢の破片、プラスチックの人形、といったものが次々と出てくる。
「なんだこれ」
 と言って西田が取り出したのは、泥まみれのコインだった。ギザ縁のある銀色の円盤には「50」の字が刻まれている。外国の硬貨かと思ったが、泥を落とすとしっかりと「昭和」「三十三年」の字が見えた。
 検索してみると、1955年から発行されていた無孔の旧50円玉らしい。「100円玉と区別がつきづらい」という理由でわずか3年で廃止、穴あきのものに変更になったとのことである。
「おい、埋蔵金ってこれかよ?」
 と西田は笑った。
「昔の物価だから、50円でも大金ってオチじゃねーだろうな」
「昔つっても戦後だろ。この頃の50円は、せいぜい今の1000円とかだ」
「だよな。箱じゃないし」
「箱?」
「箱って言ってたろ」
「いや、言ってたって何だよ」
 と俺が尋ねると、西田はため息をついた。わずかに白いもやもやが口周りから見えた。