ループ・オブ・ザ・コード

ループ・オブ・ザ・コード

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「挨拶が遅れました。梁心悦リィァン・シンユェです。友人たちからはリンジーと呼ばれます」
 シートから身を乗り出すと、心悦は腕を伸ばしてきた。
 ビジネスの世界において握手が一般的な儀礼でなくなってから四半世紀以上経ち、未だに身体的な接触を忌み嫌う人間は多い。アジア系の職員は外見から年齢が推定し難いのだが、おそらく彼女は20代半ばだろう。若い世代の間では、握手がリバイバルしてきていると聞いたことがある。私も腕を伸ばし、その手を握る。
「初めまして。アルフォンソ・ナバーロです。こちらこそ、紹介の時間が作れず申し訳ない」
「謝らないでください。私の参加は急でしたから」
「以前はどちらに?」
「ニューヨークです」
 私は頷く。チームの編成が終わった段階で、現地のスタッフに欠員が生じたとの連絡があった。彼女は交代要員リプレイスメントとして本部から送られてきたが、実務上は私の下で働くことになる。
「その前は?」
「大学院にいました。修士号を取ったあと、そのままニューヨークに」
ヤングYプロフェッショナルPプログラムPですね?」
「はい。運良く空いたポストがありました。こういった異動は初めてなので緊張しています」
「あなたが向こうで不快な思いをしないよう、最善の配慮をします」
 私がそう言うと、彼女は首を横に振った。
「絶好のチャンスだと考えています。何より、あなたの下で働けることを光栄に思います」
「私の?」
「はい。このポストは争奪戦だったはずです。皆、あなたと働きたがっている」
「慧眼だな。アルフと組んでいれば間違いない」
 オスカーが口を挟んだ。テーブルの向こう側の席に座っていて、ここからは顔が見えないが、すでに酔っていることだけは分かる。
「間違いない、というのは?」
「すぐに分かる。タートルベイじゃなく、俺たちのボスの半径数メートルにいるべきだとね」
 タートルベイは国際連合本部ビルがある地区だ。オスカーと私は長い仲だった。まだ世界W保健H機関Oが存在していた頃から、幾度となく同じ現場に派遣されている。
「まもなく着陸します。IDチェックの準備をお願いします」
 チャーター機では、操縦士のアナウンスは簡略化される。鞄を開け、代理母出産斡旋業者サロガシーエージェンシーのパンフレットをしまい、レセパセと端末を取り出す。もっとも、国連職員である私たちにとって、IDチェックは形式的なものに過ぎない。入国に際してレセパセさえ不要だろう。窓の下に広がる茫漠とした原生林を見ながら、その特異性に思いを巡らす。

 20年前、この国は世界から抹消された。
 世界は、この国が存在し続けることを、未来に対しても過去に対しても許さなかった。

(つづく)