プロローグ【4】

【試し読み】破格のエンタテインメント巨編! 荻堂顕『ループ・オブ・ザ・コード』

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「上層部は、ここがカナルホテルになることを恐れてるんだろう」
「なら、心配はいらないな。中にいるのは汚れた連中ばかりだ、天使は欲しがらない」
 カメラをリュックに戻しながら、ネイサンが私に応える。事務局は対外的な羽振りの良さとの辻褄を合わせるために、身内に対しては徹底的に吝嗇家であった。この建物も新築ではなく、かつてここにあった高級ホテルの外壁を白く塗り潰して本部として作り替えたものだ。
 ゲートの前で車を止め、マイケルは承認を待った。セキュリティゲートは三重になっている。まず、背の高い防護壁が行く手を遮り、AIが車種とナンバー、搭乗者の照会を行う。たとえ上院議員や官僚であったとしても、訪問リストに名前がなければ中に入ることは許されない。次の検問も無人で、ミリ波ボディスキャナーにより、即製I爆発E装置Dを主とした危険物の有無がチェックされる。イラクでの大惨事を教訓に、国連は支局の警備を強化していた。
 最後のゲートまで来て、ようやく警備兵が現れる。全員分のIDを預かったマイケルが、〈UN〉の腕章を付けてアサルトライフルを携えた警備兵にまとめて手渡す。もうひとりの警備兵がバックドアを開け、ハンディスキャナーで荷物の確認を始めた。リュックの中身はもちろん、オスカーの電動車椅子まで念入りに検査を受ける。職務上武器を携帯しているマイケルが銃のチェックを受けることになり、私たちは建物の入り口で彼を待った。
「お出迎えはなしか」
「私たちが部屋をノックした時に『入れ』と言うことが、彼にとってのお出迎えだよ」
 私がそう返すと、オスカーは笑った。
 腕時計を確認すると、会議の開始時刻ぎりぎりだった。あるいは、ぴったりに着くよう計算されていたのかも知れない。常軌を逸したコントロールフリークぶりは、この地でも健在のようだ。グロックをホルスターに戻しながらマイケルがこちらに向かってきたので、IDをかざして建物に入った。
 世界W生存E機関O
〈疫病禍〉をきっかけに、久しぶりに自らの死を意識した先進国の住人たちは、名前を呼んだところで何もしてはくれない神ではなく、呼べば助けに来てくれる公権力を求めた。感染症による死の恐怖と、温度を持つ繋がりからの断絶。かつてない規模で広がった集団的心的外傷マストラウマに襲われた人々には、頼れる強い指導者という虚像が必要だった。しかし、ドアを開けておかなければ、声は外に届かない。ありとあらゆる種類の自由を享受するために、かつての私たちは政府から力を奪い、そのサイズを小さくしていくことに邁進した。自由は命よりも尊いと信じていた。それが大きな間違いだったと気付いた人々は、力を返還し、もう一度大きな政府を作ることを望んだ。