プロローグ【5】

【試し読み】破格のエンタテインメント巨編! 荻堂顕『ループ・オブ・ザ・コード』

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「すみません。そちらの方は?」
 手を挙げて質問した心悦の視線は、私の隣に座っている男性に向けられている。第十四次調査団のメンバーは資料で確認しているが、彼には覚えがない。年齢は40代前半くらい。アメリカ人だろう。白髪混じりの長髪を後ろで括り、額にサングラスを乗せている。足元のサンダルが印象的で、ここまでラフな格好での参加をジェイムズが許すのは珍しかった。
「彼は政治開発アドバイザーだ」
 彼と呼ばれた男が、片手を挙げてにっこりと微笑む。
「政治開発アドバイザーの方が、今回どのような役割をお務めになるのですか?」
「必要に応じて参加する。それとも君は、必要という言葉の定義について意見を交わしたいのかね?」
 ジェイムズの言葉に、心悦はうんざりしたように首を横に振った。英国人ザ・ブリティッシュに対しての極めて正しい反応だった。わざとらしく咳払いをすると、ジェイムズは腕時計に視線を落とした。
「気を取り直して始めよう。ゾエ?」
 名前を呼ばれた女性が立ち上がる。
 ゾエ・ベルナールは、世界W生存E機関Oに所属する医師だった。世界W保健H機関O時代に派遣先がかぶったことが数度あり、一時はプライベートで食事をするほど親しかった。私の平和D活動POへの転属と彼女の結婚をきっかけにしばらく疎遠になっていたが、第十四次調査団への参加が決まった時、彼女はすぐに連絡をくれた。
 室内の電気が落とされ、壇上のモニターに映像が表示される。
「本調査団には、現在当国での診察に当たっている国境MなきS医師F団の医師と、医療支援NPOのスタッフが参加しています。これから見ていただく映像は、その内の数名によって編成された先遣隊が撮影したものです」
 どこかのリビングで、10代前半の少年がソファに横たわっている。ブランケットを枕代わりに目を開けたままぼうっとしていて、今にも眠ってしまいそうだ。足元では、遊んで欲しそうな様子のヨークシャー・テリアが吠えている。大勢を集めてまで、牧歌的なホームビデオを見せる必要があるのかという私の疑念は、ゾエが操作したシークバーによって搔き消されていった。
 その映像は途中から再生されていた。少年は、母親と思しき女性やスクラブスーツ姿の男性の呼び掛けにも反応を示さず、腹部を守るように体をぎゅっと丸めている。暗かったはずの窓の外が、日の出とともに明るくなっていく。彼は6時間以上にわたって、眼を開けたまま同じ体勢を取り続けていた。
「初めて症例が報告されたのは、約半年前です。突然息子が動かなくなり、食事も受け付けなくなった。…搬送先で、母親はそう説明しました」
 ゾエが手元の端末を操作すると、写真のスライドショーが始まった。
 先程の少年と同年代の、まだ幼い少年少女たち。ほとんどが病院のベッドの上だが、リビングのソファ、子供部屋のベッド、積み上げられた毛布など、ロケーションは少しずつ異なっている。しかしながら、例外なく全員が体を丸めている。
「この半年間で同じ症例が200件以上報告されています。全てに共通しているのが、長時間にわたる屈曲側臥位のような体位と、一見すると昏睡と見紛うコミュニケーションの断絶、食事拒否による衰弱です。発作、これをそう呼ぶのが適切なのかは分かりませんが、発作後は何事もなかったかのように生活できていること、診療所での検査では何の異常も見付からなかったことから、事態の発覚と医療介入が大きく遅れていました」
 写真の背景が小児P集中I治療CUへと変わる。