ループ・オブ・ザ・コード

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「特筆すべきは、これらの症例がある時期を境にして同時多発的に発生しているという点にあります。発作は時間経過とともに治まりはするものの、発症者の一部に、発作の頻発と持続時間の極端な遷延が発生するケースが報告されています。これまでに11名の死亡が確認されていますが、死亡時の状況は衰弱死に酷似しており、死亡時画像診断では死因を断定できていません」
 彼女は続けてモニターに地図を表示した。地域の特定は、現地調査において最初に確認すべき事柄だ。発症者の居住地がピンで示されているが、北部から南部まで、満遍なく刺さっている。つまり、地域差はないということだろう。200名以上の子供が同時多発的に全く同じ姿勢を取ったまま動かなくなるというのは、明らかな異常事態だ。
「死亡者は、いずれのケースも自宅で発見されています。現時点では、発症者に経管栄養の投与を実施しており、衰弱死の危険性は低いと予想されます。発作中は、こちらの呼び掛けはおろか、一切の刺激や痛みにも反応を示さず、それまでは元気に走り回っていた子供たちが急に衰弱していくことから、先遣隊Advance Teamは一連の症状を〈じゃじゃ馬ならしThe Taming〉と仮称しています」
「ウイルスや寄生虫による感染症の可能性は? たとえば、アフリカ睡眠病のような」
 オスカーが訊ねる。アフリカ睡眠病はツェツェ蠅を媒介とする感染症で、ウガンダとケニアの一部の地域で多く見られる風土病だった。同時多発的という言葉を聞けば、〈疫病禍〉を経験した人間なら誰もが感染症の可能性を第一に考える。
疾病C予防管理DセンターCのテストキットを用いて血液サンプルの解析を行いました。現時点では、既知の感染症、ウイルスや寄生虫の可能性は否定されています」
「だとすれば、まさしく奇病だ。子供たちが一斉に動かなくなるなんて。念のために、疾病C予防管理DセンターC本部に送って再解析を依頼してくれ。すり抜けSlip Throughの懸念がある」
「我々も同じ見解で、すでにサンプルを発送済みです。二、三日中には結果が出るかと」
 ゾエとオスカーのやり取りを見て肝を冷やしているのは、この部屋で私だけだろう。昔々、オスカーは既婚者であることを隠してゾエと親密な関係を築いていたことがある。采配に私情は持ち込みたくないが、人間が私情をガソリンにしている以上は考慮するしかない。ゾエの存在が、オスカーを連れて行くか否かを最後まで悩ませた。しかし、不幸中の幸いか、情報分析専門官アナリストになったオスカーは、もう現場には出ない。
 モニターには、発症者のリストが表示されている。
 年齢、性別、居住地域、通っている学校、通院している病院。私はリストを自分の端末へと転送し、発症者と同じ学校に在籍している生徒のリストアップと、転入者リストとの照合を世界W生存E機関Oのサーバーにリクエストした。私のアクセス権限ならば、これくらいはすぐに承認される。ほどなくして、発症者と同じ教室で授業を受けている外国人転入者の子供は、3校で32名いることが分かった。
「発症しているのは全員がこの国の子供たちのようですが」
 口を開く。
 ゾエと目が合い、私は続ける。
「我々のような、外国人の子供は発症していない?」
「ええ、ひとりも報告されていません」
「発症に遺伝的な要因があると?」
 意図を汲み取ったらしいネイサンがそう尋ねる。私は答えず、ゾエに視線を送った。
「発症条件が不明な以上、現時点では否定はできません」
「では、生物兵器の可能性は?」
 思慮に欠けた私の質問に、部屋の空気が凍り付いていくのが分かった。
 この国で何が行われたのかを知らない者はいない。そして、私たちの世界は、その過去ごと歴史を〈抹消〉した。安保理決議3948号は、国際連合の職員及びその加盟国の政府職員に対して、〈抹消〉の恒久的継続を義務付けている。鉤十字ハーケンクロイツがそうであるように、もしも公的な場でこの国のかつての名前を口にすれば、懲戒免職のみならず社会的な制裁が待ち受けている。
「もちろん調査済みだ。国連軍縮部UNODAによる査察の結果、生物兵器の影響は後遺症を含めて一切確認されていない」
 ジェイムズがゾエに代わって答えた。
 生物兵器の影響で子供たちが病気に苦しんでいるのだとしたら、この国にとっては、死刑執行後にさらに酷い余罪が見付かるようなものだ。再建を台無しにするスキャンダルになりかねない。

(つづく)