ループ・オブ・ザ・コード

ループ・オブ・ザ・コード

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「分かっていないなら伝えておくが、これは決定事項だ。なお、生物兵器の捜索に関しては、対面でのブリーフィングは今後行わない。別働隊からの報告は、都度共有する」
 話を強引に打ち切ると、ジェイムズは兵士に目配せをし、ドアを開けさせた。オスカーたちは憤慨した様子で部屋を出て行った。その後を追い掛けようとした私の前に、セオドアが立ち塞がる。
「退いてもらえると助かるのですが」
「少しは鍛えているようだが、俺には敵わないな」
 握り拳を作り腕の筋肉を強調するポーズを取りながら、セオドアは続ける。
肩肉ラ・パレータというのはどういう意味なんだ?」
 私に付けられていた渾名だった。
 作戦の頭数に加える際、中央C情報I局はA私たちのことを調べたのだろう。
「肩の下に大きな火傷やけどがある。それを肉にたとえているのでしょう」
「シリアでやられたのか?」
 首を横に振った。
 俺はお前のことを知っているぞ、という稚拙なマウンティングだ。
「じゃあ、どこでやられた?」
 適当にやり過ごすための作り話を何個か持っているが、この男には何も与えたくなかった。答えずに、ただじっと見つめ続けていると、セオドアは嬉しそうに口元を歪めた。
「興味深い男だ。英国人ザ・ブリティッシュが気に入るのも分かる。君と働くのが楽しみだよ」
 しゃがみ込んで〈シャイロック〉を拾うと、セオドアは兵士を伴って去って行った。
 会議室にはジェイムズと私だけが残された。初めから人払いが狙いだったのなら、こんな芝居掛かった演出をせずとも、私だけを自分のオフィスに呼び出せばいい。だが、ジェイムズにとっては、邪魔者を排除できるだけの力を見せ付けることが重要なのだ。特別な立場にいることの証明。そして、その特別な自分がこうして敬意を払っているのだと言わんばかりの、恩着せがましい待遇。
「夕食を、と言いたいところなんだが、これから別件で会議があってね。近々、一緒に食事をしよう。すでに見ていると思うが、ここは随分と快適だよ」
 病的なコントロールフリークであるジェイムズは、熱心な腕時計の収集家でもあった。今も、ブレゲのトゥールビヨンの文字盤を見つめている。彼にとって、全ては過ぎ行く時の流れでしかない。それも、常に自身に味方する時の流れだ。快適な部屋で高級な腕時計を眺めている間に、誰かが代わりにその手を汚す。
「騙し打ちのような真似をしなくても良かったはずだ。事前に話すこともできたでしょう」
「機密性の高さを考えれば妥当な判断だろう。用意した家も、少々手狭だが気に入ってもらえるはずだがね」
 何ともあからさまなご機嫌取りだ。
 世界W生存E機関Oが目下取り組んでいる最大の事業が、この国の再建だった。安保理決議3948号に基づき、国際U連合N開発D計画P国際U連合NFが中心となって行われた〈抹消〉の後で、世界W生存E機関Oはこの国の全権を握った。幸い、国作りに関しては、東ティモールという成功事例があった。
 そして、ジェイムズはこの国の王だった。
 あまりにも困難な任務を一方的に与える権利を持っている。未知の疾病の調査をしながら、テロリストたちが盗み出した生物兵器を探し出す。国家機関単位でも、どちらか片方をやり遂げられるか否かだ。それを、たった数人で行えと?
…お気遣いありがとうございます」
「感想を聞かせてくれ。ああ、それと、あの中国人女性に気を付けろ」
 付け加えるようにあっさりとジェイムズは言い放った。心悦以外にはいないが、私には彼女を警戒する理由がなかった。
「彼女に何か問題が?」
「中国政府が安全保障理事会を通じて、世界W生存E機関Oに圧力を掛けてきている。彼らは以前から、博士の身柄の引き渡しを要求していてね」
「心悦が中南海のスパイだと?」
「事務局がわざわざ寄越してきた補充要員だ、何もないと考える方が不自然だろう」
「偶然でしょう」
「だといいがね。くれぐれも目を離すなよ」
 壇から降りると、ジェイムズはジャケットのボタンを留め、恭しく両手を広げた。
「ようこそ、〈イグノラビムス〉へ」

(プロローグ・了)
※この続きは、8月31日発売の書籍『ループ・オブ・ザ・コード』でお楽しみください。