午前0時の身代金

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「念のために伝えておくけど、弁護士には、法律で定められた守秘義務があるんだ。依頼人から聞いた内容を、他人に話すことは絶対にない。だから安心して、全部話してほしい。そうじゃないと、まともな助言ができないし、必要な弁護もできない。依頼人が包み隠さず話せるように、守秘義務が課せられているんだ」
 彼女は上目遣いで、僕をそっとうかがった。
「どんな内容でもですか?」
「もちろんだ」
「小柳先生が、ひくようなことでも?」
「そんなことは関係ない」
「たとえば、警察の捜査が入ったら?」
「それでもだよ。守秘義務があるから話せないと答える。警察だって、弁護士法や刑法で守秘義務が定められているのはわかってる。依頼人本人の許可があれば別だけどね。つまり、本條さんが話していいと言わない限り、僕は絶対に話さない。そんなことをしたら、僕は刑に処されるし、弁護士会からは懲戒処分を受けるよ」
「そうなんですね」
 彼女は、ゆっくりと顔をあげた。
「あの、詐欺事件なんですけど」
 躊躇しながら口にする。
「どんな詐欺事件に巻き込まれたの?」
「いえ」
 彼女は一拍おいて、僕をみつめた。
「私が、詐欺をやったんです」
 彼女は遠くを見通すような目で、語りはじめた。

 二年前の四月、高校を卒業した本條菜子は、希望に満ち満ちて、ワールド美容専門学校に通い始めたという。それまで通っていた中高一貫の女子校は、校風に馴染めず、本音で話せる友達など一人もいなかったからだ。
 通学も、昼食を食べるのも、トイレに行くのも一緒。好きな音楽やアイドルに共感するのが当たり前。家に帰っても、SNSで頻繁にやりとりするのが任務のような環境に嫌気がさして、無理して同調するのをやめたら完全に孤立しちゃったと、菜子はから元気に話した。
 集団社会で孤立すると、その理由がつけられる。菜子は「自分自身を特別だと思っているプライドの高い女」と定義され、一気に避けられはじめた。それならそれで、ほっといてくれるならまだいい。だが、菜子のとる行動はいちいち非難され、時折攻撃を受けはじめた。日常のほんの一瞬の表情を盗み撮りされ、SNSで嘲笑される。弁当、筆箱、体操服が突然消える。他校の人なら大丈夫かと、通学途中に声をかけてくれた男子学生とお茶をしたら、それが回し者だったこともしょっちゅうだ。
 だから、誰一人中高の知り合いがいない専門学校に希望を持った。同級生は、大半がエスカレーターで進学し、やっと縁が切れたと思った。
「メイクには、昔から興味があったんです。ナチュラルに綺麗に見せるメイクじゃなくて、全くの別人に仕上げる特殊メイクの方。映画とかで使われるやつです。ずっと別の人になりたい願望があったからかな」 
 そう寂しそうに吐露した彼女の瞳は氷雨で濡れているようで、僕は思わず視線を外し、リーガルパッドに「特殊メイク」と余計な記録を残した。
 だが、やはりそこでも友人はできなかったという。
「私がダメなんです。どうしても距離をおいてしまって」
 一度心にうけた傷は、菜子の防衛本能となったようだ。せっかく話す機会があっても、本音で話すことを避けてしまう。集団で盛り上がっているのをみると、自分の悪口を言われているのではないかと勘繰ってしまう。そんな菜子が逃げ込んだのが、ネットの世界だった。
 ハンドルネームで生きられる世界は楽しかった。好きなものを好きと言え、嫌いなものは拒否できる。特に、世界のメイクアップアーティストが集う「インターナショナル・メイクアップアーティスト・トレードショー」について語り合うSNSで知り合ったサキとは、意気投合したという。
「サキも特殊メイクを習っていて、お互いに力作の写真をしょっちゅう送りあうようになったんです。マネキンの顔を、有名な映画のキャラクターの顔にするのは本当に楽しかった。バットマンのジョーカー、フランケンシュタイン、アバター、天使と悪魔や、ハリウッド女優のそっくり顔まで、夢中で作りました。サキとのやりとりがあまりに面白くて、とても会いたくなったんです」
 それはサキの方も同じだったようで、知り合って三ヶ月目に、二人は初めて直接会う約束をした。
「待ち合わせした原宿のカフェに向かう時は、デートみたいに緊張したんです。会って気が合わなかったらどうしようとか、まさか男じゃないよね?とか思って」
 それだけ、やっと本音で語り合える相手に出会えた喜びと期待が大きかったのだろう。実際に会ったサキは、期待通り、大らかな性格の特殊メイクおたくの女性で、菜子より二つ歳上だったそうだ。
「もう姉ができた気分になって、それからはしょっちゅう、一人暮らしのサキのマンションに会いにいっていました」
 と、菜子は懐かしそうに振り返った。だが、それでも本名を名乗ることはできなかったという。

(つづく)