第一話 赤い小鳥【1】

【試し読み】『きみはだれかのどうでもいい人』で話題! 伊藤朱里『ピンク色なんかこわくない』

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反響続々!!『きみはだれかのどうでもいい人』で注目される著者の最新長篇小説。

ピンク色なんかこわくない

ピンク色なんかこわくない

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いったいどれほどの読者が
「これ、私のこと書いている」と、
悶え/救われるのだろう。 
児玉雨子さん (作詞家・小説家)

この作品は、自分の生き方に真摯に向き合いながら、

それでも結果の出せない問いをいくつも孕んでいます。
現実をみるための新たなまなざしを得ることで、
見えていなかった何かを活性化できたら。そこから先は、ひとりひとりの、オリジナルな物語が始まる
共感の、さらにその先へ。

◎児玉雨子さんの書評全文は、こちらで読めます。
伊藤朱里 『ピンク色なんかこわくない』 | 新潮社 (shinchosha.co.jp)

「この四姉妹は自分にないものへのいらだちと自分は自分という自信をくすぶりながらも持っていて、生きづらい社会の決めつけへの批判を秘めている。あまりにもそれぞれの感情がわかりすぎて、表現、描写が秀逸で、ささりすぎて、読みごたえがありました家族の中で自分はそういう位置であっても、本当は自分の役割ではないと思っているかもしれない。自分は誰かの意見に流されていく必要はないし、自分は自分、納得する自分の人生を生きたい
ジュンク堂書店滋賀草津店 山中真理さん)
 
伊藤さんの御本は以前から読んでいますが、今回も素晴らしいです。四姉妹と母。日常が年月に漉され重ねなぞり合う描写に息を呑む。空いた役割を選び選ばせ順繰りに埋めて演じる残酷さと揺り戻し。それでも自分の人生は他者や外の世界に関係なく、ただ自分のものである事に過ぎないというところに、著者の小説家としての魂を見る。傑作必読
(大盛堂書店  山本亮さん)

家族という半径5メートルの世界だから歪むことってあると思うんですよね。なので個人的には、母親が一番の反面教師だっていうくだりがなによりガツンときました
(成田本店みなと高台 櫻井さん)

「 女同士だからこその感情がたくさん詰まっている。美しいものも美しくないものも。この母と姉妹を通してどれだけの感情を肯定されただろう。この物語の懐は、そこはかとなく深い」
(新潮社営業担当 K)

読みながら、記憶のなかのさまざまな場面が点滅してどきどきします。
姉妹でなく、母でなく、女でもない
あなたも体感してみてください。
誰もにきっと、響きます!

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第一話 赤い小鳥

 結婚式のカラードレスには赤を選んだ。
 試着に付き添ってくれた友人は「女優っぽいバラ色」と曖昧な評価を下し、ブライダルサロンの係員は「ルビーレッドは華のある方でないとなかなか、ほらご新婦様みたいな」とお世辞を言い、義母は「あなたがこういう派手な紅色くれないいろを選ぶとはね」と目を見張った。色の名前なんてべつにどうでもいいのだけど、個人的にはいちおう招待したら来てくれた大学時代の後輩が年賀状の返事に書いてよこした「先輩の、ものすごい、、、、、赤のドレスが印象的でした」という表現が、まだしもいちばん適切な気がした。
 十年以上前のことなのに、記憶はまだ薄れていない。女友達が身にまとった似たようなパステルカラーのワンピースやストール、新郎側の友人知人や夫の背広のモノクロームのグラデーション。そこからぽつんと浮いていた、私の赤。
「よかったですよ、なかなか。他の人とも被らないし」
「でもねぇ。あたしの歳で赤っていうのは、ちょっとやりすぎじゃないかしら」
 中村さんはそう言って、大袈裟に首をひねった。
 義母と同世代の彼女は私の生徒の中でも古株で、私がふたりめの出産を機に自宅でやっていたピアノ教室を一年ほど閉め、再開の挨拶を兼ねてかつての生徒さんたちにハガキを出したときも真っ先に電話をくれた。だめでもともとだったけれど(実際、宛所不明で返送されてきたものも多かった)、それでも、忘れられていないというのは嬉しいことだった。
「お着物っていうのもね。どうしても、袖が邪魔になっちゃうから」
 もっとも私の産休前から彼女はずっとブルグミュラーを卒業する気配がないので、本来の意味で役に立てているかどうかは疑問だ。いまだって年に一度の発表会で弾く曲目よりも、そこで着る服装についてずっと深刻に悩んでいる。
 土曜の午後は中村さん以外に生徒がいないし、きょうのように夫が子供たちを連れて車で出かけることも多いので、彼女は自分の用事がない場合こうしてリビングで世間話をしていく。そういう日はレッスン中からわかる、口数が多いのはいつものことだけど、話題がどうも長引きそうなものばかりだからだ。タイミングを見計らって「このあと、お茶でも飲んでいかれます?」と誘うと目は少女のように輝く。それでも口では「あら、そんなの悪いわよ」と遠慮するので、こちらからもうひと押ししてあげなくてはいけない。
 中村さんも、これまで出会ってきた多くの人と同じく、自分の願望をひけらかすことを好まない。こちらがそうしたくてたまらないような、彼らのほうにはまるで欲望など存在しないような素振りをすれば、たいていの相手とはうまく付き合える。
「それにしても、先生が赤いドレスなんてちょっと意外ね。旦那さんのご趣味?」
「まさか。夫はもちろん、私自身もなんでもよかったんです。なんでもよすぎて困ってたときに、むかし妹から『お姉ちゃんは赤が似合う』って言われたのを思い出して」
「例の、海外留学した秀才の妹さん」
「いえ、その下にもいるんですよ」
 そこから先のやりとりは、人生で飽きるほど繰り返してきた。あら、三姉妹だったの。いいえ、じつは四人姉妹なんです。まあ素敵、まるで若草物語みたい(挙げられる作品は人によって違うので、私は四人姉妹の出てくる映画や小説のタイトルに無駄に詳しくなった。ただ、実際に見たり読んだりしたことはほとんどない)。何番目? 長女です。
「みなさん先生に似ておきれいなの?」
「いやいや…まあ、母が言うには、私がいちばん父親似らしいです」
 返事になっていないけど、とくに気にはされなかった。とりあえず会話が続けばいいという態度を隠しもしない、この人のこういうところが私はわりと嫌いではない。
「妹さんたちは、いまなにをなさってるの?」
…なんでしょうねぇ。それぞれ、自由に」
 適当に答えながら、私は中村さんにお茶を注いだ。カットした林檎やオレンジにシナモンをまぶして紅茶に漬け込み、隠し味に赤ワインを加えたサングリア風アイスティー。彼女はこれが気に入ったらしく、もう三杯もおかわりしている。一緒に出した作り置きのレーズンクッキーも、息子のおやつ用にとっておいたぶんまでなくなりつつあった。
「美人姉妹、ピアノにお茶、幸せなおうち。ほんと、先生ってお姫様みたい」
「えぇ?」
「よくあるじゃない、『そしてふたりは、いつまでもいつまでも幸せに暮らしました』っていう昔話の決まり文句。こんな歳にもなってなんですけどね、先生を見ていると、あれもあながちありえない話じゃないのかもしれないって思うんですよ。こんなふうに穏やかな幸せを保ったまま、いつまでもいつまでも、暮らしていける人もいるんだからって」
 もちろん先生は先生でご苦労もあるでしょうけどね、仕事しながら子育ても家事もして―後半の台詞には、あきらかにとってつけた感が滲んでいた。