犬の視線、ひとの視線

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私と、妻と、妻の犬

『私と、妻と、妻の犬』

著者
杉山 隆男 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104062065
発売日
2015/04/22
価格
2,052円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

犬の視線、ひとの視線

[レビュアー] 樋口明雄(作家)

 かつて、ホタルという名の、チョコレート色のラブラドール・レトリーバーを飼っていた。

 静岡県のあるブリーダーが夜逃げをして多頭飼い崩壊となり、地元の獣医師がボランティア同然に犬たちを引き取って、ウエブサイトで里親募集をかけた。そのサイトを見て、「うちで飼おう」といいだしたのは妻だった。施設内に閉じ込められ、ろくに運動もさせられず、四肢の筋肉が衰えて細くなった上に胴体ばかりが巨大化していたホタルは、犬というよりも、太りすぎのイノシシのような印象があった。そんな醜い姿に落涙しつつも妻は、それでもかまわないといった。

 飼っているうちにホタルは徐々に犬らしい体型を取り戻し、外で散歩していても「何の動物ですか?」と訊かれなくなった。そして四年目の春。三・一一の震災があったその月に、乳腺癌で寿命をまっとうした。『私と、妻と、妻の犬』を読んでいる間、このホタルという、奇妙なラブラドール・レトリーバーと暮らした日々の記憶が、いくたびも脳裡をよぎって仕方がなかった。

 主人公の“カズキさん”は、大学で教鞭を執り、著作もあるインテリ中高年男性。しかしながら、人としていささか不器用なタイプで、あえていえば優柔不断。妻との関係もどこかぎくしゃくして、家庭崩壊の爆弾をいくつも抱えている。そんな状況でありながら、彼はかおりという女性と不倫をする。不倫といっても、青臭いティーンエージャーのようにプラトニックな男女関係をずるずると引きずるだけ。しかも、ダイアリーと称する不倫ノートにすべてを書いてしまうものだから、妻にそれと悟られてしまう。そんなていたらくなので、十五歳という年の差でありながら、銀行のディーリングルームの画面上で大金を操作するという仕事に就いている、つまり徹底したリアリストであるかおりにとって、“カズキさん”は浮気の相手としてあまりにももどかしい。

 こうしたアンバランスな人間関係の中に、つかの間の安定剤として存在するのが、ななとメイという二頭のイエロー・ラブラドール・レトリーバーである。ななは妻が仔犬の時に飼い始めた犬だったが、メイは違う。かつてはこゆきと呼ばれ、飼育放棄された犬だった。ボランティア団体をたらい回しにされていたメイを妻が引き取ったのは、八年という別居状態から夫が戻ってきた直後、ななが死んでからのことだった。ペットロスの哀しみから本当に救われるには、また新たなペットを飼うしかない。しかし、“カズキさん”の妻にしてみれば、新たに同じ犬種であるメイ、しかも不幸な過去を背負った犬を飼うという動機の裏に、皮肉というか、何か含むものがあったような気がしないでもない。

 犬たちは独自の視線で人間を見つめる。愛とか無垢の象徴のように透き通った犬の目のおかげで、いつしか飼い主は犬を鏡のようにしておのが姿を見ることになる。そうしなければ孤独を癒やせないからだ。そして犬は――当然のように人よりも早く老い、死んでいく。まるで飼い主の人生の業を背負ってゆくように、先に逝ってしまう。

 ホタルが亡くなる前の晩のことをよく憶えている。癌の痛みで苦しくて苦しくて、何度、声をかけても、ぼくや妻に視線を向けようとしなかった。唸り、躯をふるわせ、ふっと頭を持ち上げて、周囲を見回しては、また頭を落とす、の繰り返し。それがあるとき、薄闇の中でドッグケージ越しに、じっとこちらを見ていた。あの大きな潤んだ眸が今でも忘れられない。

 きっとあのとき、ホタルは呼んでいたのだなと、今になって、ぼくはそう思った。作中でななが息を引き取ったその日、じっと“カズキさん”を見つめていたときのように――ホタルも無言の声でぼくを呼んでいた。しかしながら、どんなにつらく、苦しくとも、人生にはいつも小さな救いがある。

 そこはかとない哀しみと、透明な寂寥感が全編に漂う小説だが、ラストにその重苦しさから読者が解放されるべく、ある小さなエピソードが用意されている。ぜひ、そこにご注目いただきたい。

新潮社 波
2015年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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