戯れ言の自由 [著]平田俊子

レビュー

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戯れ言の自由

『戯れ言の自由』

著者
平田 俊子 [著]
出版社
思潮社
ISBN
9784783735007
価格
2,484円(税込)

書籍情報:版元ドットコム

戯れ言の自由 [著]平田俊子

[レビュアー] 大竹昭子(作家)

 言葉が持っているのは意味だけではない。音がある。「はし」はブリッジにもなり、チョップスティックにもなる。「はじ」は端っこの「はじ」だけでなく、「それは恥だ」の「はじ」にもなる。そういうことに敏感なのが詩人で、意味に流し目を送りながらも、凝視しているのは音の響きのほうだったりする。

 平田俊子の新作『戯れ言の自由』は、届いた書類が露草色のホッチキスの針で綴じられていた、という詩ではじまる。だがこの「ほっこり感」に編されてはいけない。次の「犬の年」ではとんでもない場に連れていかれるのだ。緊張して舞台に上がると観客が犬になっていたという設定。「え一、みなさま、こんチワワ。/きょうはぶるブルドッグと震えるほどの寒さですね。/わたくし、スカートの下にスピッツをはいてまいりました」。「ペンキ塗り立てペキニーズ」とか「食堂経営ダルメシアン」とか、言葉の新体操のようだ。

 朗読会のために詩を書くときは、読み上げることを念頭において書いていくものだ。音に意識が向いて意味から自由になり、イモヅル式に詩が生まれる。「か」「いざ蚊枕」「まだか」の三作は好例だ。蛾について書くつもりが、その前振りとして書いていた文章が「蚊」に気持ちを移行させ、「まだかについて考えている」ではじまる三作目では、最後に「蛾」と「蚊」の両方が入っている熱帯の島「ガ、ダ、ル、カ、ナ、ル」に行き着いてしまうのだ。

 子供のころ、「知らない人のあとに付いて行ってはいけませんよ!」と言われた。平田俊子が追っていくのは「蚊」とか「蛾」とかよく知っている言葉で、つい安心して付いていくと、ちょっとおっかない場所に放り出されるので、要注意。

「ほっこり」とは無縁な人である。でも「ほっこり」したいという気持ちは捨てられないのかもしれない。その感情の隙間から言葉がこぼれ、暴走していく。

新潮社 週刊新潮
2015年12月10日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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