『アリス、アリスと呼べば』
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人生の巡り合わせと不可逆性を描く韓国の若手作家による八つの短篇
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
子どものころの自分を思い浮かべて、それがいまの自分とつながっていないような気がすることがある。反対に、いろんな起伏があったはずなのに、まるで変わっていない自分に気づくこともある。この切断と接続の感覚。韓国の若手作家による八篇の短篇は、ふだん忘れているその感覚をよみがえらせた。
どのような物語がそうした境地に誘うのか、筋を説明するのがまことに難しい。だが、読んでいるあいだは複雑とは感じず、たしかな感覚に浸りきる。そう、夢のなかの出来事が起承転結とは無縁なのに説得力があるのに近い。不幸な出来事や人の死が数々登場するが、なぜか心の隙間に水が染み渡り、潤されていくような充足感をもたらす。
表題作「アリス、アリスと呼べば」は、ある島に渡った旅行客の女性が行く先々で初対面の人に自分の人生を語り、また相手も自分のことを語っていくものだ。「アリス」という名の人物はひとりも出てこない。代わりに老婆が「わたしたちはみんな、不思議な穴のなかに落ちているんじゃよ」とつぶやくだけ。『不思議の国のアリス』の迷宮の旅を連想させる。
「海辺の迷路」には、同じ名前をもつ年の近い二組の姉妹が登場する。二組は交わらず、並行してうねるように進んでいく。登場するだれもが他者の話に耳を傾ける大切さを知っている。物語のなかに自分は存在しなくても、語られたものは自分だけが知る物語になるのだ。「海辺の迷路」はこのように終わる。「僕が所有することになったその世界を、ぼくは何度でも無限に反復できた」。これこそ、生の味わいではないだろうか。
他者を理解すること、理解しようとしても及ばない領域があること、人生の巡り合わせと不可逆性、自分の経験が別のだれかのなかで再生されること。ふだん使わない心の部位をマッサージされるような読書だ。