<書評>『方舟(はこぶね)を燃やす』角田光代 著
[レビュアー] 重里徹也(聖徳大特任教授・文芸評論家)
◆生きる確かさを求めて
私たち日本人はこの数十年、不安を抱き続けてきたのではなかったか。多くの情報に心を左右され、もてあそばれたのではなかったか。この長編小説を読みながら、そんなことを考えた。
2人の主人公を交互に描く。1人は1967年に鳥取県で生まれた柳原飛馬(ひうま)。高校卒業後、上京し大学を出て、都内の区役所職員になる。山陰と中央が対比され、母親を早くに亡くしたこともあって、孤独感が伝わってくる。
もう1人は望月不三子(ふみこ)。1950年代の初めに東京で生まれた。高校生の時に父親を亡くし、高校卒業後、製菓会社に就職。上司の勧めで見合いをして結婚し、専業主婦に。彼女も孤独だ。母親とうまくいかず、夫とも心の交流があるようには見えない。
2人の人生とともに、この半世紀以上にわたる日本人の心模様が浮き彫りにされていく。寄る辺なく漂う私たち。
この2人にはいくつか共通点がある。まずは、まじめなこと。飛馬は幼少期の自分の失敗にいつまでも倫理的に悩んでいる。バブル期に世間が浮かれだっている時に公務員をめざす。不三子は身体にいい食事を追求し、周囲との摩擦もいとわない。
二つ目の共通点は他の人と潤滑なコミュニケーションがあまり得意でないことだ。2人とも親友と呼べる存在が乏しい。家庭もうまくいかない。かたくなで筋を通し、テキトーに生きることを知らない。そばにいると信用できるかもしれないが、窮屈だろう。
この2人はさまざまな物語にさらされる。ノストラダムスの大予言、コックリさん、未来さん(未来から来たという人が情報を流す)、カルト宗教、2000年問題(2000年を迎えた時にコンピューターが誤作動するという問題)、食品添加物、ワクチン禍。さらに自然災害が日本列島を襲い、原発が事故を起こし、新型ウイルスが蔓延(まんえん)し、貧困が社会問題になっていく。
生きる確かさを無意識に求める2人が、子ども食堂で出会うのが象徴的だ。不器用な2人が描く軌跡に、この数十年を振り返りたくなった。
(新潮社・1980円)
1967年生まれ。作家。著書『対岸の彼女』『紙の月』など多数。
◆もう一冊
『ロック母』角田光代著(講談社文庫)。離島の実家に帰ったシングルマザーを描く名短編。