『津波の木』
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津波で母を失った写真家が生き残った木々から読みとる神話
[レビュアー] 大竹昭子(作家)
木々は身近にあるが物を言わない。東日本大震災から六年たったある日、著者は故郷・陸前高田の気仙川の河原で見なれていたはずの一本の木を初めてしげしげと眺めた。変わった形をしていた。左半分には青々と葉が茂り、右半分は一枚の葉もついていない。まるで「刃物でも振り下ろしたように」姿が二分されている。観察するうちに、海の側は津波に乗って押し寄せた物体で幹が傷つけられて枯れてしまい、陸側は生き残ったのだとわかる。
死んだものと生きているものとがひとつの姿を成した寓話のような木を目の前にして、彼はあの日を境にやってきたたくさんの変化を思いおこす。母を亡くし、実家は流され、その後の大規模な土木工事によって周囲は馴染みのない眺めに変わってしまった。その流転の激しさを一本の木が語りかけてきたのである。
こんな木がほかにもあるかもしれないと彼は「津波の木」を探す旅をはじめる。もっとも被害のひどかった故郷に軸足を据えておこなっていた撮影が、物言わぬ木に導かれて範囲を広げたのだった。
表紙の木は福島県南相馬市で出会ったものである。幹がよじれ傾きながらも堂々と枝を広げている。気仙沼向洋高校の旧校舎脇に立っているカイヅカイブキは卒業生が植樹したものだが、建物の四階まで押し寄せた濁流にもまれながらも生き残った。
多くの木が津波に流されたのにこれらの木が無事だったのは、様々な条件が重なったからだろう。木自身はそれには無関心で、ひたすら養分を吸収し、陽を浴びて生きようとするだけだが、私たちはその姿に深い感慨を覚えずにいられない。人間であるがゆえに生き残った木々の姿に物語を読みとり、生きるよすがにするのだ。
ページを捲りながら木々の経験したことに想像を馳せていく。神話のはじまりに立ちあっているようだ。
長く手元に置きたい一冊。