カップヌードルとカルピス、戦後の食品ビジネスに衝撃を与えた経営者ふたりの先見の明とは?

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美しい日本人

『美しい日本人』

著者
文芸春秋
出版社
文藝春秋
ISBN
9784166614073
価格
935円(税込)

書籍情報:openBD

カップヌードルとカルピス、戦後の食品ビジネスに衝撃を与えた経営者ふたりの先見の明とは?

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

明治以来、日本には、無私の人、潔い人、天晴れな人――、ひと言で言うと「美しい日本人」が数多くいました。

そうした人々の生き方や考え方を知ると、そうそう、日本人ってこうだったんだよなあとしみじみ胸に迫るものがあります。歴史に名を残さないまでも、こうした日本人は市井にたくさんいたはずです。

ましてや、殖財と私利私欲に走る人たちのニュースが連日のように報じられる昨今にあっては、そんな“偉人”たちの足跡に触れれば、痛快な思いがしたり考えを改めたりすることもあるのではないでしょうか。“偉人”の人生は、ときとして我が身を映す鏡にもなるのです。(「はじめに」より)

冒頭にこう記された『美しい日本人』(文藝春秋 編、文春新書)は、これまでに「文藝春秋」誌で記事になった数百人の人物のなかから、73人の「美しい日本人」を厳選して紹介したもの。

登場する先達が活躍したフィールドは政官、国際社会、企業、文芸、学問など多岐にわたっています。そして重要なポイントは、各人の業績やことばには、現代を生きる私たちにも応用できるエッセンスが凝縮していること。

きょうは第3章「企業人を超えた影響を与えた人々」のなかから、食品の世界で成功したふたりのエピソードを抜き出してみたいと思います。

安藤百福  カップヌードルは地球上で最後に残る

安藤百福さん(1910〜2007年)は、チキンラーメンやカップヌードルを開発し、国民食に育てた日清食品の創業者。ここではその次男であり、現社長の安藤宏基氏が、衰えない情熱を持っていた父親のことを語っています。

思い出すのは、研究室とは名ばかりの家の離れの小屋で百福さんがチキンラーメンの開発に没頭していたときの姿。そのころ小学生だった宏基氏は、黒焦げの麺、湯をかけても戻らない麺など、失敗作が山になっていた光景を記憶しているといいます。

カップヌードル開発の際には様々な試作品のカップを毎晩持ち帰り、夜触り、朝起きて触り、「どう思う?」と私にも聞いてきました。何度失敗してもあきらめず、完成するまで続ける人でした。戦後の貧しい中、「食が満たされてこそ世の中が平和になる」という熱い思いがそれを成し遂げさせたのでしょう。「できる立場の者がやらないのは罪だ」と後年も繰り返していました。(79ページより)

こう振り返る宏基氏は、チキンラーメンについてもカップヌードルについても、「最初からここまで考えられていたのか」といまだに驚くことがあるのだそうです。たとえば百福さんはチキンラーメンをつくる際、スープを麺に染み込ませることにこだわったのだとか。スープの包装をなくせば、CO2排出削減に役立つから、というのがその理由。

しかも、試行錯誤の末に発明した技術であるにもかかわらず、「野中の一本杉より森のほうが強い」といってその特許を公開したため、世界中で製造されるようになったのでした。どこかで災害が起きたら、現地の製造事業者が非常食としてカップ麺を拠出できるという、世界的な枠組みまでつくり上げたわけです。

チキンラーメンが発売された1958年当時は、マーケティングということばすらなかった時代。しかし、そんななかにあって開発商品の販売戦略を組み、一気に量販体制を築いてテレビCMを打ち、顧客の声を聞く体制を確立。それはまさしくマーケティングそのものだったといえるでしょう。

2021年に発売50年を迎えたカップヌードルは世界百カ国で販売され、累計五百億食を達成しました。しかし宏基氏はいまでも、創業者である百福氏から学ぶことばかりだと述べています。(78ページより)

三島海雲  カルピスで特許を取らなかった

三島海雲さん(1878〜1974年)は、日本初の乳酸菌飲料「カルピス」を生み出した実業家。国民の健康とビジネスを結びつけた稀代の経営者の生き方を語っているのは、三島さんに直接薫陶を受けた元カルピス常務取締役の小山洋之介氏。

まず三島社長と言えば、思い出すのはメモです。4Bのエンピツとわら半紙をいつも枕元に置いていて、思いついたことを書き留めておくのです。翌朝、秘書がそのメモを解読し(初見では読めない癖のある時でした)しかるべき部署に届けていました。ここにあらゆるアイディアが詰まっていました。(83ページより)

小山氏がカルピス食品工業(当時)に入社したのは1957(昭和32)年のことだったので、その時点ですでに三島さんは雲の上の存在。しかし商品開発の部門にいたため、「こういったものをつくれないか」という命令が、メモを通じて飛んできたのだといいます。

三島社長のモットーは「美味くて身体によいものを」でした。この両方の課題をクリアするのは、並大抵のことではありません。よいものは原材料も高く、商品にしても一般の人が手に取れるような価格ではなくなってしまうのです。常々、三島社長は「カルピスは経済的である」と言っていました。庶民が手に取りやすい価格であることも必須条件だったのです。

いち開発担当者としては、理想が高いほど挑みがいがあり、苦労はしながらも楽しい日々でした。(83〜84ページより)

大阪の箕面にあるお寺の住職の息子として生まれた三島さんは、幼いころから身体が弱く、生涯健康には人一倍気を使っていたそう。

転機が訪れたのは、ビジネスの世界に足を踏み入れ、中国各地を行商しながら歩いて回る過程でモンゴルにたどり着いたとき。慣れない異国で胃腸を壊したものの、モンゴル族から勧められるまま口にした酸っぱい乳を繰り返し飲むうち、嘘のように胃腸の調子がよくなったというのです。

当時のモンゴル族は甕(かめ)のなかに乳を入れ、棒でかき混ぜて飲んでいたのでした。その効力を身をもって実感した三島さんが考えたのは、「酸味のある乳こそモンゴルの人々の活力の源だ。これをうまく利用すれば、日本人の健康のためになる食品ができる」ということ。当時の日本はまだまだ食糧事情が悪く、栄養が足りずに病気になる人が多かったのです。

一九一六年に中国での経験を生かして、牛乳を発酵させたクリームを「醍醐味」として発売しました。(中略)そして一九一九年に「カルピス」を開発します。余った脱脂乳に砂糖を入れて置いていたところ美味しくなったので商品化したのです。(85ページより)

カルピスの名前は、カルシウムの「カル」に、仏教用語で「最上の味」を表す熟酥(サルピス)の「ピス」を組み合わせたもの。ちなみに日本初の乳酸菌飲料でしたが、「いいものはひとりでも多くの人に広まるべきだ。それをひとつの会社で独占してはいけない」という思いから特許を取らなかったのだそうです。

のちに飲料メーカーなどが競って乳酸菌飲料を開発し、市場をにぎわせることになったわけですが、それこそ望んでいた光景だったわけです。(82ページより)

これらがそうであるように、紹介されているエピソードは現代のビジネスにも充分に通用するものばかり。純粋に読みものとしても楽しめるので、週末に読んでみる価値は大いにありそうです。

Source: 文春新書

メディアジーン lifehacker
2023年7月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

メディアジーン

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