『おとめ座の荷風』持田叙子著

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おとめ座の荷風

『おとめ座の荷風』

著者
持田 叙子 [著]
出版社
慶應義塾大学出版会
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784766429015
発売日
2023/09/12
価格
2,970円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

『おとめ座の荷風』持田叙子著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

女性像に乙女への憧れ

 永井荷風に似あう星座は、おとめ座。実際の生まれは射手座であるが、著者である持田叙子の言い回しによれば、「はるかな月と星を何よりも愛し、世俗から飛翔して高らかに輝く星の子であることを願うおとめの時代に生まれ合わせた」。そして作家活動の初期からしばしば、花のように愛らしく、純真な乙女たちを小説に登場させていた。

 荷風の描く女性と言えば普通は、夜の街に生きるカフェー女給、ダンサー、娼婦(しょうふ)といった大人の女性を連想する。しかし、そうした女性たちの人物造型にも「純でむじゃきな乙女のおもかげ」が映りこんでいる。男性の読者はおそらくたいてい、独身者・荷風先生の遊蕩(ゆうとう)生活にばかり関心を向けるので、そこに現れる乙女の姿を見落とすか、あるいは気恥ずかしくなって目を背けてしまう。

 若い女性をめぐる語りの奧からは、明治の洋風化の空気を存分に吸った荷風の母や、小説家としての自立を目ざし挫折していった、樋口一葉などの年上世代の女性作家たちへの思慕が見えてくる。花街を描き続けたのも、芸者たちが江戸の文化を継承しながら、女性どうしでおしゃべりをし、遊びに戯れる姿を見せてくれる、貴重な存在であるからだった。

 こうした乙女への憧れは、日中戦争が始まったあとの時代には、社会からの圧迫を受け、孤立を深めてゆく。だが荷風は生活の統制がきびしくなっても東京から離れず、浅草の踊り子たちと遊ぶ生活をぎりぎりまで続けた。太平洋戦争期に書き継いでいた長篇(へん)小説『浮沈』では、『風と共に去りぬ』などのアメリカの女流作家による作品からの影響を、わざとちりばめていると持田は推測する。

 明朗で美しい少女への憧れが、時代に対する鋭い批判の意味を帯びてゆく。その軌跡からは戦争の時代のきびしさと、平和を希求する作家の信念が強く浮き出てくる。(慶応義塾大学出版会、2970円)

読売新聞
2023年11月24日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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