「死ぬことは、怖い?」
「まあ、誰だってそれなりには、怖いと思いますが」
「そうね。誰だって死ぬのは怖いのよ。それは、もう死んでしまった人にとってもそうなの。生者にとって一番の恐怖が死の予感であるように、死者にとっての一番の恐怖は死の経験なのよ。これは覚えておいてね」
ハルさんは真剣な顔をしていたが、言っている意味はよくわからなかった。
というか、そもそも、死者が何かに恐怖しているというのが、俺にはうまくイメージできなかった。
先月亡くなったひいばあちゃんが、自分の死の経験に恐怖しているだろうか。あんな平穏な終わり方をした人が、死の経験を恐怖しているのだとしたら、それはなんというか……贅沢というものではないだろうか。
歩行者専用の小さな橋のたもとで、ハルさんは足を止めて、何かを思い出すような目で対岸をじっと見つめた。
どうやらここが、目的の場所らしかった。
「ここに、霊がいるんですか?」
と尋ねると、
「あのあたり、見えない?」
と、ハルさんはささやき声で対岸を指差した。橋よりも少し下流側で、コンクリート張りの護岸にある直径1メートルほどの排水口から、濁った水が勢いよく噴出している。ビールの泡みたいな飛沫を立てている。
「排水口が見えます」
と、俺は正直に答えた。
「あと、葦がけっこう生えてますね」
「足?」
「あ、いえ、手足の足でなくて、草のほうです」
「そう。まあ、いいわ」
と素っ気なく答えた。
本当に、見えても見えなくてもいいと思ってるのだろうか。それとも、霊のいない場所なのに俺が気を遣って「見える」と答えるか試してるのだろうか。だとしたらこの場合、気を遣うことは正解なのか。そもそもこのバイトに採用されるのは「正解」なのだろうか。
考えても仕方ないことだった。そういう時は、なるべく正直に振る舞ったほうがいいはずだ。
「気をつけてほしいけど、豊くん」
「はい」
「君が霊を信じなくてもいいの。でも、霊のいる場所ではなるべく、そこに霊がいるかのように振る舞って。見えないとか、信じないということは、本人の前では隠しておいてね」