「ええ。スペイン風邪と結核の2択かな、と思いましたので」
「そうねえ…どっちが効くのかしら」
「それって、やっぱり必要なんですか?」
「当たり前じゃないの」
「両方試してみればいいんじゃないですか? 結核の患者に抗ウイルス薬を与えても、悪影響が出るとは考えづらいですし」
「そういうことじゃないのよ、豊くん」
 と、ハルさんは俺のほうを見てはっきりと言った。
「この方法で人を助けられる、という確信が必要なの。わかる?」
 プラシーボ効果的なことを言ってるのだろうか、と思ったが、面倒なので言わないでおいた。とにかく今はそういうルールなのだ。じゃあ、それに従っておこう。
「とりあえず、これを渡したほうがいいですか」
 と言って俺はリュックから500mLのいろはすを取り出した。取り出してはみたものの、それをどうすればいいのかわからず、キャップを握ってボトルをぶらぶらとさせた。
「あら、気が利くじゃないの」
「薬を飲むなら、水が欲しいかなと思ったのですが…そういう認識で合ってますか?」
「合ってるわ。すごいじゃないの。その人のことを考えて接してくれるのが、この仕事で一番大事なことなのよ」
「それよりも、この人は大正時代の人なんですよね」
 過剰に褒められてうっかり頬が緩みそうになり、無理に話題を変えた。
「こんな透明のボトルを見せて、意味がわかるでしょうか」
「大丈夫よ。ガラス瓶なら私が小さい頃からあったもの」
 ハルさんはそう言って、袱紗ふくさのような布を地面に敷いて、その上にペットボトルを置いた。
「で、薬のほうですが」
「ええ」
「風邪をこじらせて亡くなった、という話ですけど、それって本人がそう言ってるんですか?」
「佐々木さん、どうなのかしら?」
 とハルさんは地面に向かって尋ねた。
「ちょっと話せる感じじゃないわね。豊くんが水を出してくれたので、少し落ち着いたんだけど」
「なるほど」
 霊の自己申告でないとすれば(そんなものがあってはならないが)、誰かがこの「佐々木ウメ」さんの死因を周囲に報告したはずだ。
 そして、ハルさんには依頼主がいる。となると「風邪で亡くなった」という説明は、その依頼主を経由したものだと考えるべきだろう。
 その依頼主は、死後百年たった人物との会話を望んでいる。
 一番わかりやすいのは、子孫である。
 この「佐々木ウメ」さんは現世に子孫を残しており、その筋でハルさんに依頼が届いた、と考えるべきだろう。
「この人には家族がいたんですか?」
 と俺は尋ねた。
「さあ…いたんじゃないかしら。結構大きな家だったみたいだし、私が小さい頃は、女性の一人暮らしなんてほとんどなかったから」
「家族の霊はいないんですか?」
「ここには見当たらないわ」
 ふむ。人が幽霊として残るためのルールが何かあるのかもしれないが、ひとまず家族がいるとして、話を進めてよさそうだ。
「家族がいるなら、結核が風邪だと思われるはずがないんですよ。結核は進行の遅い病気ですから、長く一緒にいればわかるはずです」
 孤独な女性が一人で暮らしていて、たまに物売りかなにかで訪れた人が、あそこの人は風邪だな、と思うことはあるかもしれないが。
「つまり、スペイン風邪のほうが現実的です」
「本当にそう思うのね?」 
「確信を持つには条件が足りないですが、俺にわかる範囲で十分に考えました」
「ええ。それが大事なのよ」
 そう言うと、ハルさんは俺から(スペイン風邪にも有効と思われる)タミフル錠を受け取り、いろはす500mLボトルの横に置いた。そのあと目をつぶり、何度か深呼吸をしたあと、
「スペイン風邪によってその生命を失い、この地に眠る佐々木ウメさん。あなたの苦しみは除かれました。どうかそのお姿を、私の前にお見せください…」
 という文言をつぶやいた。
 ふと車の走行音が消えた。さっきから慢性的に響いていたが、どこかの信号が赤になったのだろうか。
 果たしてこれで正解なのか、そもそも正解するべきなのか、といったことを考えながら反応を待った。クイズ番組でやたらと間を引き伸ばす司会者みたいに、ハルさんはじっと黙っていた。
「豊くん」
 1分ほど待っただろうか。そう言ってハルさんは目線をすっと上にあげた。ずっと地面に注がれていたその視線が、今度は空に向かっていた。
当たった、、、、みたいよ」
 どうやら、霊が立ち上がったらしい。
 つまり、ハルさんの中では「霊が立ち上がった」ことになったらしい。
 薬が効いたからって1分で治るもんじゃないだろ、とは思うのだが、あくまでハルさんの心の中の出来事なので、そういう医学的なことは考えなくていいのだ。

(つづく)
※次週(11月30日)は休載となります。