■1-10 幽霊が科学を信じていいんですか

幽霊を信じない理系大学生、霊媒師のバイトをする

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前回のあらすじ

人間社会のうち、少なくとも大学という場所は、「幽霊」にほとんど興味を持っていないらしい。安心できる事実だった。霊媒師を名乗る女性の怪しげな業界に片足を突っ込むと決めた以上、軸足のほうはちゃんと正常な世界に所属していたかった。

イラスト/土岐蔦子
イラスト/土岐蔦子

■1-10 幽霊が科学を信じていいんですか

 ハルさんから次に呼び出されたのは週末だった。
「水曜のお昼に、喫茶モダンに来てくれる?」
 電話口でそのようなことを言われた。
 都合よくというべきか、その日の午後は休講になっていた。地質学の教授が渓流で転倒し1週間入院とのことだった。
 大学の休講情報というのは学務システムに通知されるのだが、そんなものを真面目に見ている学生はクラスに1人くらいしかおらず、そいつがクラスLINEに情報を転送する役になる。そして俺がそれだった。おかげでクラスの連中からは「休講の谷原たにはらくん」という認識になっていた。
 途中で面倒になったので休講情報を LINE に転送する bot を作ったのだが、それでも俺のことは「休講の谷原くん」であり、どうも本人よりも bot の方が認知されている気配がある。
 が、ともかくバイトの話である。
「ちょっと伺いたいのですが」
 と俺は尋ねた。
「仕事の入る日はどうやって決まるんですか? 俺としては火曜の午前と木曜の午後、あと土日なら都合がつきますが」
 都合がつきます、というのは少し妙な気がした。「他にすることがあるけれど、仕事を優先できます」というニュアンスを出したい、という欲求が漏れ出ていた。実際はただ本を読むくらいしかすることがない。
「そうねえ…」
 とハルさんは少し考えて、
「ちょっと都合が悪い時もあるから、毎週何曜何時から、と決まったことは言えないかしら。ごめんね」
「幽霊のかたの都合ですか?」
「あの人たちに時間の都合はないわよ。ゆたかくん、急いでる幽霊なんて見たことあるの?」
 と言われても、幽霊自体を見たことがないのだから答えようがない。
「天気とか季節とか、そういう意味で話しやすい時期はあるけれどね。そういうのはそのうち巡るものだし」
「なるほど」
 となると「都合」はハルさん自身の都合か。先日の電話のときもそうだったし、おそらくハルさんはなんらかの理由で、不定期的に、仕事ができない状態になるのだろう。とはいえ本人があえて話そうとしないのなら、こちらから聞くのも気が引けた。
 単純に体調の問題かもしれない。もしこの人が本当にひいばあちゃんの友達ならば、およそ外を歩き回ったりできる歳ではないはずなのだから。
「で、俺は何をすればいいんですか?」
「そうね。今回の人は…」

 水曜2限を終えて電車に乗り、いったん家に帰った。帆布リュックに入った教科書を机に出し、家の薬箱からいくつか必要なものを取り出して、コンビニ袋に入れて喫茶モダンに向かった。
 前回の仕事とはうってかわって、ハイキングにでも行きたくなる青空だ。梅雨前線はまだ九州の南でくすぶっていて、このあたりまで来る気配を見せなかった。
 指定時間の15分前に着いた。茶色エプロンの老店主は俺を見るなり、
「やあ。ハルさんとこのバイト君だね。あの人はもうすぐ来るよ」
 と低い声でつぶやいた。
「じゃ、コーヒーでお願いします」
 と言ってからメニューを見た。古ぼけたメニュー表によると、コーヒーは280円とあった。
「喫茶モダン」のコーヒーは店構えの異様さに反して、コンビニコーヒーみたいな無難な味がした。この客入りでこの値段でやっていけるとは思えないので、おそらく他の収入源があるのだろう。
 ハルさんは5分前に現れた。そろそろ気温も上がり始めているのに、前と同じ黒い着物だった。この人は体温を感じる器官が欠失しているのではないだろうか、と思う。
「ちゃんと時間通りに来たわね」
 と、ハルさんは満足そうに言った。この人の時間へのこだわりは、本人の都合と何か関係しているのかもしれない。
「今回は、病気で死んだ人の幽霊、ってことですけど」
 と、俺は電話で説明された内容を繰り返した。