「あれ? 日本だと駄目なんだっけか」
 これがおじさん流のとぼけ方であることは分かっていたので、
「母さんに言いますよ」
 と言うと、おじさんはすっと瓶を引っ込めた。この人の行動原理のひとつに「姪に嫌われたくない」があり、それさえ押さえておけば面倒は回避できる。そういうわかりやすい攻略ポイントがある人なので、親戚づきあいの中では楽な部類だった。
 小学生の頃、おじさんは俺に木製の仮面を渡してきたことがある。「ニューギニアの部族に伝わる貴重なものだから、絶対になくすんじゃないぞ」とのことだが、裏を見ると20ドルという値札がついていた。その瞬間に俺の中に「真面目に話を聞かなくていい人」というフォルダが新規作成され、おじさんは今もその中に入っている。
 そういうわけで、「将来は何になるのか」とか「彼女はできたのか」とかいった親戚会話テンプレートみたいなのを、俺も回答テンプレートで適当に返していく。そういうキャッチボールを続けていくと、やがて話題のフォーカスが俺から逸れていく。
「姉さんも、この家にひとりで暮らして寂しいんじゃないの?」
「あら、そんなことないわよ。母さんがいなくなってから、しょっちゅう友達呼んでるもの。ホラ、あれ、女子会」
「そっか〜、姉さんは昔からそうだからなあ」
「気兼ねしなくなっていいわよ、お母さんが騒がしいの嫌いだったもの」
 ずいぶんひどいことを言うなと思ったが、いちばん世話していた人だからこそ許される不謹慎さ、という気もした。
「でも、たまに家来てたよな。母さんの友達」
「お母さんの友達って、そんなに来てたかしら? お父さんのお仕事関係の人はいっぱい来たけど」
「1人覚えてるぞ。ホラ、あの、いつも黒い着物きてたおばさん」
「ああ、そうねえ。確か、お母さんの同級生って言ってたわよね。女学校の」
「なんかこう…ちょっとヌメヌメしてる名前の人だったよな。小沼とか、田沼とか」
 ぴくん、と俺の視線がおじさんの方に動いた。
鵜沼うぬま?」
 と俺が小声で口を挟んだ。ほとんど声にならないような声だったが、おじさんの無意識領域には届いたのか、おじさんはばんと手を叩いて言った。
「あ、そうだ。思い出した。鵜沼さん。鵜沼ハルさんだ」
「そうだったわ。あんた、よく覚えてたわね」
 富子ばあちゃんが頷いたことで、また視線が別のほうに動いた。
「確か、宗教のお仕事をしてる方だったわよね?」
「そうだったっけ? おれ、そこまで知らねえ」
「先祖の霊がどうこう、って言ってたわよ。ほら、お父さんと今野こんのさんがあの頃、事業の話とかで」
「いやいや、あの母さんに宗教って、似合わなすぎだろ」
 おじさんがビールを持ってガハハと笑う横に、俺はしおりを差し込むように口を挟んだ。
「あの、その人、どういう人だったんですか?」
 おじさんはビールをすっと置いた。
「ん? どうした豊」
…いえ、ひいばあちゃんに友達っていうのが、ちょっと俺にもピンと来なくて」
「なあ、豊もそう思うだろ?」
 と、おじさんは俺の肩をぽんと叩いた。
「姉さんの結婚式に来てたんじゃないか? アルバムあるでしょ、出しなよ」
「やめてよ、恥ずかしいわ」
 富子ばあちゃんはそう言いながらも、とくに躊躇するでもなく戸棚から分厚いリング綴じの冊子を取り出した。黄ばんだ紙にはくすんだ色のカラー写真が貼られている。「昭和四八年六月吉日」と書かれている。
 表紙をめくると、ばあちゃん夫婦と双方の両親が写った大判の写真が貼られている。髪のまだ黒い千代子ひいばあちゃんが、綿帽子をかぶったばあちゃんの後ろにすっと立っている。
「姉さん、この時もう30過ぎてたんだよな。周りから『行き遅れ』って言われてたんだぜ」
 おじさんは俺のほうを見て言った。現代の感覚だと普通だが、母さんが26歳で俺を産んでると考えると、たしかに遅い。
「それはあんたのせいでしょ。いっつも小さい男の子がついてくるせいで、子持ちだと勘違いされてたのよ? 百貨店に行っても、息子さんにおひとついかがですか、なんて言われて」
 富子ばあちゃんが話している間に、おじさんはページをめくっていく。
「姉さんがおれの母親代わりだったからなあ。母さんはずっとムスッとしてるしさ。ホラ、こんなふうに」
 おじさんが指したのは、歓談のワンシーンを切り取った写真だった。テーブルの周りに6人ほどの参列者が写っている。うち1人はひいばあちゃんだ。儀式嫌いというだけあって愛する長女の結婚式というわりに、梅干しを飲み込んだかのようなしかめっ面をしている。
 そして、ひいばあちゃんの隣に立つ、黒紋付きを着て快活に笑っている女性を見た瞬間、
「ああ、確かにハルさんだな」
 と、俺はごく普通に思えた。
 顔とか服装とかそういうのとは別に、その独特の佇まいが、周囲にまとっている空気感が、「喫茶モダン」でコーヒーを飲むときの、俺の雇い主そのものだった。あまりに当然のようにそこに立っているので、俺は驚くことさえできなかった。
 むしろ、ひいばあちゃんがこんなにも若いことの方が、なにか間違った事態のように思えた。俺にとってのひいばあちゃんは、生まれた時からずっとひいばあちゃんなのであって、孫もいない中年女性であっていいはずがないのだ。
 俺はもう一度アルバムの日付を見た。「昭和四八年」、つまり46年前だった。

(つづく)