こいごころ

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「私が力を貸すの? 狐仙に?」
 どう考えても、若だんなより狐仙の方が、強いのではなかろうか。布団の上で若だんなが首をかしげると、老々丸は、引きつったような顔になった後、頭を深く下げてきた。
「長崎屋の若だんなは、大妖たいようおぎん様の血筋だと聞いてる」
 他の妖との関わりも、同じ妖狐の血筋故に、老々丸は承知していると言った。
「それゆえ長崎屋の若だんななら、承知してるだろう? 妖には、人のような寿命はない。長生きなんだ。だが己の力を失えば、この世にあり続ける事は出来ないんだよ」
 気がつけばある日、この世から消えてしまう事になる。それが妖であった。老々丸は、弟子を守りたいと口にする。
「我らはおぎん様の力を、お借りしたいんだ。笹丸を、おぎん様がおられる、荼枳尼天だきにてん様の庭に、入れて頂けないかと思っている」
 確か以前、古松ふるまつとかいう老狐が、人の世で弱った後、神の庭へ帰ったと聞いている。その後はずっと、安らかに暮らしているらしいと、老々丸は言ってきた。
 同じ妖狐のことゆえ、話は北の地にまで伝わったのだ。
「笹丸だって、そういう特別な庭でなら、安心して暮らせるかも知れん。是非、是非、おぎん様が仕えている荼枳尼天様の庭に、笹丸も置いて頂きたい」
 老々丸は必死に、若だんなへ頼んできたのだ。
「おや、私に頼みたかったのは、おばあ様への橋渡しでしたか」
 若だんなにも、この夢を見た事情は分かった。老々丸は本気で、笹丸を案じているのだ。だが…若だんなは少し眉尻を下げた。簡単にうなずく訳には、いかなかったからだ。
「まず、私とて簡単に、おばあ様と会える訳じゃないんですよ」 おぎんの方から、長崎屋へ知らせを入れる事はあっても、こちらからは、便りを送ることすら難しい。おぎんがいる場所は、人の暮らす町ではないのだ。それに。
「以前、古松さんという妖狐が庭へ帰るのに、手を貸した事はあります。けれど古松さんは、元々荼枳尼天様の庭にいた、狐達の一人でした」
 そして古松は、力を求めて庭へ行こうとしたのではなく、元いた場所へ戻りたかっただけなのだ。庭へ帰った故に、具合が良くなったといっても、それはたまたまの事であった。
「笹丸さんが、万に一つ庭へ入れたとしても、その後、のんびり暮らせるかどうかは分からないんですよ」
 北の狐がいない庭で、笹丸は老々丸から離れ、一人になってしまうのだ。それに。
「老々丸さんには、仙の力があるんですよね? 笹丸さんの為に、御自分で出来る事が、あるのではと思うんですけど」
 老々丸は首を縦に振った。
「実は、おぎん様と会う為、我も頑張ってみたのだ。王子おうじの稲荷へ行き、やしろの狐方にお願いした」
 ところが、王子の狐は働いてくれたのに、老々丸はおぎんに会えなかったのだ。大妖は、庭にはいなかった。あちこちへ身軽に行く性分らしく、今どこにいるのかも、はっきりしなかったのだ。
「あ、おばあ様らしいというか」
 それで老々丸は、若だんなへ泣きついてきたのかと、事情が分かった。
「お願いだ。笹丸を助けて下さい」
 焦りだけが積み重なっていく中、若だんなは、老々丸が見つけた希望なのだ。
「若だんなは今、具合が悪そうだ。そんな時に無茶をすれば、更に病むかも知れぬよな。我が無理を言ってることは、承知している」
 しかし老々丸は、笹丸を助けてくれとすがりつきたい。
「勝手の極みだ。我は悪い奴だな。しかし、若だんなに頼むしかないんだ」
 身勝手の報いは、老々丸が受けると言い切ると、老々丸が闇の内で、身を折るように頭を下げたのが分かる。その願いは、己の為のものではないから、若だんなは、天も地も無い暗闇の中で、大きく息を吐くしかなかった。

       2

 するとこの時、ようよう若だんなが起きている事に気がついたのか、布団の中にいた鳴家達が、寝ぼけた声を上げてくる。
「きゅ、きゅんい?」
 若だんなは鳴家を抱き寄せ、ゆっくりとでた。きゅいきゅいと、小鬼達の声が上がる。
(老々丸さんの頼みごとを断るのは、難しいと思う。助けて下さいという言葉を無視したら、きっと後悔するね)
 出来る事があるのに、やらなかった己を、忘れられないに違いなかった。目の前に、弱っている笹丸がいるのだ。若だんなが見捨てたら、笹丸の明日が、どうなるか分からない。
 小狐を見ていると、笹丸は小さな子供、唐子からこの姿になったり、小狐に戻ったりして、落ち着かない。化けた姿を保てないのは、妖狐として弱いからだろうと心配がつのってくる。
 ただ。若だんなは、見えない天井を見上げるように、上を向いた。
(熱を出しているのに、起き出して動いたら、にいや達に、ものすご𠮟しかられそうだ)
 自分が寝付いても、毎回治って居るのは、妖達がいつもきちんと看病してくれているからだ。運が良かったからだ。
(今回、無理をすれば、笹丸じゃなくて私の方が、あの世へ行きかねないよね)
 だが、それでも、小狐を見捨てる事は出来ないと思う。
(だから…うん、無茶をしよう。老々丸達と一緒に、おばあ様を探すしかない)
 若だんなは、額から絞った手ぬぐいを手に取り、腹をくくった。それが唯一、進める道だと思う。

(つづく)