“本当の自分”を認めてもらう必要はあるのか? 『妖精と伯爵』の作者が描いた変化や成長を強制しない物語

谷瑞恵『小公女たちのしあわせレシピ』刊行記念特集

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書籍カバー装画/土居香桜里、イラスト/中原 薫
書籍カバー装画/土居香桜里、イラスト/中原 薫

『伯爵と妖精』『思い出のとき修理します』の作者・谷瑞恵さんによる『小公女たちのしあわせレシピ』(新潮社)が刊行された。
 本作は不思議な老女・メアリさんが残したレシピを手にした主人公が、お菓子作りを通して簡単にやり直せない過去を抱えた人々との優しい縁を結び始める物語だ。
 自身もままならない境遇の主人公は、メアリさんに導かれ、傷を抱えた人たちとの交流を通して何を得たのか?
 あたたかい感動が待ち受けるこの作品の魅力を、『後宮の烏』シリーズの白川紺子さんが語る。(本文・白川紺子)

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変化を強いない救済の物語

小公女たちのしあわせレシピ

小公女たちのしあわせレシピ

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 ホテルを住み処とし、本名も故郷も過去もすべて謎のまま亡くなった老婦人、メアリさん。彼女ののこした英米児童文学の本には、物語に出てくるお菓子のレシピが挟み込まれていた。本書は、そのレシピを再現してゆくなかで救われる人々を描いた連作集だ。
 外国の児童文学と、そこに登場するお菓子。これだけでもう心ときめくものがある。外国の児童文学に登場する食べ物がいずれもおいしそうだというのは、子供のころそれらを読んだひとには覚えのあることではないだろうか。片田舎に住む子供だった私には、「プディング」ひとつとっても明確には思い描けず、しかし文章からはとてつもなくとくべつなお菓子に思えて、唾を飲み込んだものだった。
 本書には『小公女』『トムは真夜中の庭で』『不思議の国のアリス』などの児童文学が出てくる。レシピはぶどうパンに、トライフル、トリークルタルト等々…味覚は記憶を呼び覚まし、大事なものを思い出させてくれて、自分を受け入れることができるようになる。本書を読んでいると、その味を知らないのに、不思議と登場人物たちとおなじように、味覚が鮮烈に記憶と結びつくさまを疑似体験しているような気になる。
 物語は六話あり、登場する児童文学も六作ある。結婚を控えた友人に寂しさを覚えるつぐみ、母やクラスメイトとうまくいかない理菜りな、家族の仕打ちに傷つき家出した主婦の詠子えいこ、母親へのわだかまりを抱えた獣医のそう、子供との接しかたがわからない小児医療事務員の和佳子わかこ、心のよりどころだった祖父母の園芸店がなくなるかもしれないことに動揺する千枝ちえ。登場人物たちの心情が、静かで柔和な筆致で丁寧に綴られる。彼らの多くは劇的に不幸なわけでも、劇的な変化が訪れるわけでもない。ゆるやかで、包み込まれるような雰囲気にこの物語は満ちている。己も他者も否定しない、ありのままを受容する、海のようなまなざしが常にあるからだ。これはメアリさんの在り方そのものでもある。