ループ・オブ・ザ・コード

ループ・オブ・ザ・コード

  • ネット書店で購入する

「さて、そろそろ地上です」
 専用道路が終わり、一般道路と合流する。視界に広がっていく街の姿に、マイケルを除いた全員が息を呑むのが分かった。トンネルを抜けると、そこはマンハッタンだった。
…おいおい、冗談じゃなかったのかよ」
「空港からお送りすると、皆さん必ずそのリアクションなんです」
 そう言うと、マイケルは楽しそうに笑ってみせた。
 摩天楼と呼ぶに相応しい高層ビル群。所狭しと立ち並ぶ商業施設に、スクリーンに映し出されるコマーシャル。私たちが十数時間前までいた場所と、ほとんど何も変わらない。首都の景観は、その国の繁栄の度合いを計るバロメーターとして機能するが、仮に同じ水準であっても、ロンドンにはロンドン、パリにはパリの空気というものがある。香り、と言い換えてもいいかも知れない。人種、歴史、文化、あらゆる要素を調合した香水。しかし、ここにはそれがない。ただ、私たちの良く知る景色が広がっている。
「文字通り、〈小さなアメリカ〉でしょう?」
「君たちには悪いが、少し不気味だ」
 オスカーが苦々しげに呟く。
 表情を見る限り、心悦とネイサンも同意見らしい。
「安心しませんか?」
「赤の他人が自分と同じ服を着ているのは、気まずいで済む。だが、クローゼットの中まで丸っきり同じだったら気味が悪いだろ?」
「オリジナリティは、まずは模倣から始まるのではないですか。それに、我々が輸入したのは〈成功した近代的な都市〉のパッケージです」
「なるほど。〈アメリカ〉という成功体験はアメリカの持ち物ではないと?」
「真に多様性を重んじるのであれば、そうなのでは?」
 マイケルの言葉には、ここで暮らしている人間としての説得力があった。
 鼻を鳴らすと、オスカーは二本目の煙草を吸った。
未視感ジャメヴェだな」
既視感デジャヴェではなく?」
「ここまで同じだと、自分がどこにいるのか分からなくなる」
 オスカーがそう答えると、心悦は納得したように頷いた。
 平日の昼間だが、道路はかなり空いている。それも、走っているのはトラックやバン、物流を形成する車ばかりで、乗用車は少ない。過去の資料では、オートバイが多いイメージがあったので意外だった。
「条例で交通量が調整されているんです。殺人的な渋滞と排気ガスによる大気汚染は、この国が長きにわたって抱えている問題でしたから。現在は、指定された事業者を除いた一般車両の通行は制限され、政府はEVバスの利用を奨励しています」
 私が訊ねると、マイケルは即座に答えてくれた。交通インフラとしてのEVバスの採用は、安定した電気供給が可能であることを意味している。
「しかし、本数と乗車定員には限度がある。不便な生活を強いられてるんじゃないのか?」
「そのためのあれですよ」
 ネイサンの疑問を受けて、マイケルが右側を指差す。目を遣ると、ビルの隙間を縫うようにして走るモノレールが見えた。高架化された軌道桁の上を走行する、上下で黒と白に塗り分けられた車体。その姿は、JFK空港からマンハッタンへと向かうエアトレインを彷彿とさせた。
「グレートオーク。国土を端から端まで繋ぐ、再建の象徴のひとつです」
 バックパックからカメラを取り出したネイサンが、駅に停まっている車体を撮影し始めた。グレートオークはこの国の脆弱な交通インフラを改善するために導入された最新鋭の交通システムの総称だ。24時間無人で運行し、安価に国中のどこへでも行ける。
 ネイサン・ブルックスは国際I農業F開発A基金Dの職員で、医療人類学の博士号を持つ優秀な現地調査要員インベスティゲーターだった。任期終了を目前に控え、民間企業への転職を考えていたところをスカウトした。調査団の業務は彼の知的好奇心を満たせるだろうと踏んでいたが、どうやら正解だったようだ。

(つづく)