『地方財政学――機能・制度・歴史』

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地方財政学

『地方財政学』

著者
小西 砂千夫 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641165946
発売日
2022/03/10
価格
4,400円(税込)

書籍情報:openBD

『地方財政学――機能・制度・歴史』

[レビュアー] 林正義(東京大学教授)

フィールドワークとしての地方財政論

 約四半世紀前の話である。当時の私は、〈日本の〉地方財政の研究を始めようとしていた。まずは、教科書や関連研究書を手当たり次第に読んでみることから始めた。そして、何となく概要は分かった気にはなった。しかし、同時に細かい疑問が多く残った。そこで次は、役人による書籍や役所の外郭団体による資料冊子も試してみた。しかし、まだ霧は晴れない。この手の本は、無意識的かどうかは知らないが、「業界」の知識を前提としており、また、役所の建前に縛られているところもあるのだろう。

 つまり、日本の地方財政は、文字媒体だけでは〈肝心なところ〉が分かりにくい。文字媒体で分からないなら、直接役所に問い合わせるしかない。ただ、メールや電話による問合せは実質的に無視される場合もあった。また対応してもらえた場合でも、建前に留まる場合もあった。質問が表向きの制度の解説に触れる程度ならともかく、それが制度形成の背景や外に出し難い情報に及ぶ場合は尚更そうであろう。

 となると役所と何らかの関係を築く必要がある。役所による研究会への参加が最も都合がよいが、全ての研究者にその機会は提供されてはいない。ただ、私は運良くその機会を幾つか得ることができた。しかし、実際は研究会でも、役所からの回答は建前に留まる場合が多かった。

 結局は、インフォーマルな関係が重要になる。もちろん、研究会等で関係を築く機会があっても、ギブ・アンド・テークが必要であるから、必ずしも安定した関係へ発展する訳ではない(私の場合はそうできなかった)。しかし、信頼関係を築くことができれば、他の研究者が容易に得られない知識を得ることができる。

 つまり、文字媒体では得られない知識を得るためには、役所を対象とした「フィールドワーク」(1)が必要となる。そして、その「フィールド」から得られる知識によって、他の研究者には叶わない独自の研究成果を生み出すことも可能になる。

 今回取り上げる『地方財政学』の著者である小西砂千夫(敬称略。以下「著者」と表記)は、そのような「フィールドワーク」を通じて次々と地方財政に関する作品を生み出してきた(2)。その作品群は、類書にはない地方財政制度の論説や知識を提供するが、それらは、地方財政を対象とする研究者にとっても欠かせない情報源になっている(3)。

 これら作品群の集大成が今回の『地方財政学』である。本作は「集大成」であるからこそ、過去の作品群との重複がかなり多い(4)。それにもかかわらず、いや、それであるが故に、過去の作品群をまとめてアレンジし直した本作は、地方財政制度にかかる利用価値の高い体系書となっている。実際、現存する地方財政制度の教科書・体系書の中から一冊だけ推薦せよと求められたら、私はこの『地方財政学』を推薦するだろう。

 しかし、今回の作品には気になる点も少なくない。それらは本作における制度解説の価値を何ら下げるものではない。しかし、その中には、今後の日本における「(地方)財政学」を考える際に重要と思われる点も幾つかある。以下では、そのうち3点に絞って触れていきたい。

財政学

 第一は、著者の「財政学」の認識に関わる。財政という現象や制度は、経済学を含む複数の学問体系において各々独自の方法で研究されてきた。つまり、財政学とは財政という対象によって規定される学問であり、特定の方法論・学問体系によって規定される学問ではない。

 したがって「財政を対象とする経済学」はあり得ても、著者が批判する「経済学の体系を借りた財政学」(7頁)などは存在しない。同様に、著者が用いる「財政学の応用分野としての地方財政学」(6頁)という表現にも違和感がある。財政学に固有のアプローチが無い限り、それを応用することは出来ないからだ。

 加えて、本作の序章や第1章における経済学の特徴付けにも違和感がある。例えば、経済学(5)では「財政の所得分配機能とは、生活保護のような公的扶助を中心として考えられる」(8頁)とあるが、これは間違いである。もしそのような主張をする経済学者が現在でも存在するのなら、それは単なる勉強不足によるものであろう。いずれにしろ、ごく一部の偏った認識が一般的に当て嵌まるかのような議論は、財政分野で再分配を研究する経済学者としては受け入れることはできない。

 また、著者は「最適課税論は制度設計にはつながらない」と指摘する(2頁)。しかし、ここ四半世紀における最適課税論の展開を傍から眺めてきた者として、この点にも同意できない。よく知られている『マーリーズ・レポート』等から読みとれるように、最適課税論は実際の制度設計に重要な知見を与えてくれる。

 さらに著者は「財政学から公共経済学の流れでは、制度研究はそもそも重視されない」(2頁)とも主張する。確かに「(財政学ではなく)理論経済学から公共経済学の流れ」では財政制度に係る関心は薄い。しかし、公共経済学をその専門としていても、経済理論のみに関心のある研究者は、そもそも自らを「財政学者」と名乗ることはないだろう。

 その一方で、財政にかかる実証研究(計量経済学的手法を用いる経済分析)では、分析手法を正しく理解することと同様、財政制度を適切に理解することがとても重要である。確かに、財政制度を十分に理解することなく実証分析を行っている研究も存在する。しかし、それは、その研究者の資質や能力の問題であって、財政にかかる実証研究のあり方にかかる問題ではない。

 繰り返すが、財政にアプローチする研究手法は複数存在する。当然、各々の手法には長所と短所がある。財政研究においては、互いの長所を活かして互いの短所を補っていけば良い。したがって、互いの(長所と)短所を理解することは重要ではあるが、特定のアプローチを誤った認識に基づいて腐すことは最も非生産的である。

統治の技法

 第二は本作の主題に関わる。かねてから地方財政における「統治」の側面を重視してきた著者は、本作では「統治の技法としての地方財政学」を説いている。「統治論」は古くから政治哲学の関心事である。また、「統治」といえば、財政学や行政学では「官房学」が、行政学や政治学では「公共ガバナンス論」が容易に想起される。

 本作の出版を耳にして一番初めに私が期待したのは、著者が本作でどのように自身の「統治論」を体系化するかであった。今回の作品が集大成であるからこそ、ある程度の分量をもって著者自身の「統治論」を展開すべきと感じたからである。しかし、私の期待は叶わなかったようだ。

 永井陽之助(6)によると、政治学は、(1)権力に仕える「権力の師俯(7)」、(2)特定のイデオロギーに一貫性のある世界観を与える「ドクトリン」、そして、(3)権力から距離を保ち、いかなる組織にもコミットしない「自己認識の学」として分類できるという(8)。当然、この分類は政治学以外の社会科学にも当てはまる。

 本作の「統治」が権力者(国家)に依る統治であるのならば、本作が説く「統治の技法としての地方財政学」は、永井の言う「権力の師俯」に繋がるのではないか。永井は「自己認識の学」に立脚し、「権力の師俯」を忌み嫌っていた。そして、それは私の研究における心得にもなっているようだ。私が、本作に著者の「統治論」の深化を期待したのは、この「権力の師俯」にかかる学問上の懸念に何らかの答えを見つけることを願っていたからでもある。

地方財政学

 最後に本作からの気づきをもって締めくくろう。上記の「統治の技法としての地方財政学」というキーワードを意識して本作を再読すると、そこにおける「地方財政」とは、個々の自治体における多様な財政の営みではなく、例えば、地方交付税総額の決定が中央政府の予算決定過程の重要なフェーズであるように、〈国〉が策定した「地方」財政制度を通じた、〈国の〉財政の営みの一部もしくは派生と捉えられると気づく。

 つまり、本作が扱う「地方財政」とは〈国家〉財政であるとも解釈できる。実際、改めて本作以外の地方財政の教科書や体系書も眺めてみると、この国家財政の部分を注視しているものが多いことが分かる。逆説的だが、日本の地方財政論の中心は国家財政にあるようだ。

 しかし、国家財政を中心に据えない地方財政論・学〈も〉あって良い。自治体の財政力を制約する経済活動やその政治を左右する人口・社会要因は、自治体間で大きく異なる。その一方で、自治体は自身の財政決定において一定の裁量を有する。その結果、個々の自治体の財政運営は、国の制度に沿って見るだけでは把握できない多彩な様相を示しているはずである。

 この実態を解明するためには、国の制度を通り抜けた様々な自治体の財政活動を観察し、それらをパターン化することで、背後にある諸要因からなる構造を理論化する必要がある。この作業は、考えるだけで気が遠くなりそうだ。しかし、著者が言うように地方財政が「統治と自治とのバランス」の上に立脚するものならば、国家運営の観点からの地方財政論・学だけではなく、自治体の裁量と多様性に光を当てる地方財政論・学も必要であろう。

(1) 「フィールドワーク」という表現は、高名な財政学者による指摘から拝借した。これを社会学的に表現すると、「総務省を対象としたimmersionもしくはethnography」と呼べるかもしれない。

(2) amazon.co.jpを利用した検索によると、ここ10年(2013年3月~)だけでも16冊に及ぶ。

(3) 特に『基礎から学ぶ地方財政』(初版2009年、新版2018年)は地方交付税制度に関する優れた解説書であり、私も機会ある度に多くの人に推薦してきた。

(4) 例えば有斐閣発行の以下の3作品と比べよう。神野直彦との共著である、8年前(改訂版は昨年)の『日本の地方財政』(2014年/2021年)は、本作と同様、地方財政論の体系書である。また本作品の副題「機能・制度・歴史」のうち制度と歴史については、『日本地方財政史』が5年前(2017年)に、そして、『地方財政改革の現代史』が2年前(2020年)に上梓されている。

(5) 著者は「経済学の体系を借りた財政学(ママ)」と表現しているが、ここでは経済学を指していると解釈した。

(6) 永井は、私の学部ゼミでの担当教員および大学院(修士)での指導教員であった。永井の功績については次の論文が詳しい。酒井哲哉著「永井陽之助と戦後政治学」『国際政治』日本国際政治学会、有斐閣、第175号、70-83頁、2014年。

(7) 「師俯(しふ)」について永井は「助言者」と括弧書きしているが、そもそも中国語では「先生のお辞儀」を意味するらしい。

(8) 永井陽之助「政治学とは何か」篠原一・永井陽之助編『現代政治学入門〔第2版〕』有斐閣、1-26頁、1984年。

有斐閣 書斎の窓
2022年7月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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