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植民地統治下で生まれた作家の郷愁を許さぬ戦争の残酷さ
[レビュアー] 縄田一男(文芸評論家)
二〇〇七年、岩波書店は戦後のベストセラー小説の代表作『黒の試走車』(岩波現代文庫)から小説以外の『ルポ 戦後縦断 トップ屋は見た』(同)まで、梶山季之の業績をコンパクトに鳥瞰できる傑作集を刊行したことがある。
その折私は、岩波から本が出るなんて泉下で故人がいちばん痛快がっているだろうねと知人と話し合ったものだった。
今回“反戦小説集”と銘打たれた『李朝残影』は、一九三〇年、植民地統治下の京城で生まれ育った作者の故郷への限りない想いと、そんな甘美な郷愁を許さない戦争がもたらす残酷さを二つながらに描いた五篇を収録している。
表題作は主人公・野口良吉が滅びつつある朝鮮の風俗、それのもつ哀しい美しさを表わす妓生・金英順の宮廷舞踊をキャンバスにとどめたくて彼女にモデルになってもらう事に執着する物語である。
そのたくらみはようやくの思いで成就するが、それは英順がある写真を見た事で頓挫する。その写真とは野口の父の写真で、野口は彼女がかつて日本軍による虐殺のあった部落の生まれだったことを知る。その時彼女は数えで四歳、幼いが記憶はある。
そして野口はやがて一番懼れていたことが真実であったと知る――。
この他、自らの矜持により命を絶つ朝鮮人の姿を描き、一切の感情の入り込む余地を拒絶した「族譜」など、後のエンターテインメントとは一線を画した作品が揃っている。
本書の素晴しいところは解説に四方田犬彦を起用している点で、梶山の作品を初めて読む人でも彼が生きたバックボーンを過不足なく説明してくれる。
映画誌家でもある彼の解説で、「族譜」が韓国で映画化されたことを私は初めて知った。また彼が「梶山季之とは約めていえば、近代日本社会が周縁として排除し、目を逸らそうとしてきた者たちの裔であった」と言っているのは梶山を論じるに際して至言と言っていい。
“反戦”の二文字では収まらない人間の襞や心情に錨を下ろした一巻である。