人と比較しない、自分の能力を自覚する。ぶれない自分をつくる坐禅の効能

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人と比較しない、自分の能力を自覚する。ぶれない自分をつくる坐禅の効能

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

励ます禅語: 「茶禅一味」の境地に学ぶ』(金嶽宗信 著、東洋経済新報社)の著者は、茶会に呼ばれるとまず床の間を鑑賞するのだそうです。

なぜなら床の間には、ホストである亭主が、その日のお客さまのために選んだとっておきの掛け軸が掛かっているから。そして、そこには禅語が書かれていることが多いというのです。

「茶禅一味(ちゃぜんいちみ)」という言葉があります。茶道と禅は一体である、という意味です。

千利休の弟子、山上宗二が書いた『山上宗二記』という本には、「惣(すべ)て茶湯風体は禅なり」とあります。

茶席で、亭主が余念を雑(まじ)えず一心に茶を点て、客も一心にいただく。それは「主客一如(しゅきゃくいちにょ)」という禅語であらわされます。また、所作は流れる水のごとく、環境を素直に受け入れ心を留めない。これが禅でいう「三昧(ざんまい)」の境地です。

お茶では、「主客一如」や「三昧」をはじめとする禅の精神を大切にします。

それでお茶室に禅語を掛け、その心を伝えてきました。(「はじめに」より)

著者は一休さんに憧れて12歳で出家し、京都の大徳寺に入ったという経歴の持ち主。現在は、東京・広尾の香林院で住職をされています。大徳寺は現在の茶の湯と縁の深いお寺だということなので、そこで培ったものがバックグラウンドとして生きているのでしょう。

そこで本書では自身の体験談も交えながら、500年以上も茶室で語り継がれてきた禅語を、さまざまな角度から検証しているのです。

きょうは第五章「バランスはいつでもむずかしい。」のなかから、仕事と向き合ううえでも役に立ちそうな禅語と、そこにまつわるエピソードをご紹介したいと思います。

幽香満坐清 ゆうこうみちて ざきよらかなり

禅を極めた人格者は

接する人々にすがすがしさを与える

(144ページより)

著者は坐禅を始めてずいぶん経つものの、いまだに納得できる坐禅ができていないのだそうです。

意外な気もしますが、いいぞと思う日もあれば、まだまだだなと感じる日もあるというのです。そういう意味では坐禅以外の、いろいろなことにもあてはまりそうではあります。

この「幽香満坐清」という言葉は、心底徹底禅を極めた真実の人格者は、その接する人々の心中に幽玄なる香を焚き込めたようなすがすがしさを与えるという意味です。まさに私の理想とするところですが、なかなかそうはまいりません。

(145ページより)

それでも著者は「自分は禅に救われた」のだと感じており、なかでも自分が変われたいちばんの要因として坐禅がとても大きかったと実感しているのだといいます。

坐禅には、強くそこまで感じさせるほどのなにかが備わっているのかもしれません。(145ページより)

自分と他人を比較しない

ちなみに坐禅でまず目標としたのは、坐相といわれる姿勢、すなわち「きれいに坐る」ということ。それからもうひとつ、「腹の座った坐禅をする」ことだったといいます。

とはいえ初めのうちは“腹が座る”ということがよくわからず、心のなかで「ドッシリ」とつぶやいてイメージトレーニングをしていたのだそう。

しかし、そのうち「徐々に“ぶれない自分”ができ上がってきたと実感できるようになった」のだと当時を振り返っています。

そしてそのヒントとなったのが、自分と他人を比較しないということです。自分は自分、ほかと比べてもまったく意味がないと気づいたのです。

自分は小さな能力だけしかもっていなくても、それを最大限に生かして生きるしかないのだ。親であろうが誰であろうが、他の人の力で自分を救い出してもらうことはできないのだと。

そして適度の緊張と緩和のバランス。緊張しすぎては力が入り実力が発揮できないし、緩めすぎてもダメ。ほどほどのところを知ること。(145ページより)

たとえば世間を見ていても、大きな能力を持っているのに、それを発揮できていない人を見かけると著者は指摘しています。

「本当にもったいない」と感じるため、できることなら声をかけて坐禅を勧めたいくらいだと。もちろん、街中でそんなことをするわけにはいかないので、見知らぬ人にいきなり声をかけるようなことはないようですが。(146ページより)

自分の能力を自覚する

そして著者は、次のようにも述べています。

私は自慢ではありませんが、自分の能力の低さは自覚しているつもりです。でもこうして偉そうに堂々と生きていられるのは、自分の限られた能力を人より発揮できていると思えるからです。だから私は禅に救われたというのです。(147ページより)

他にも、心と体のバランスが整えられて自然治癒力があがり健康になった、病気らしい病気をしなくなったというようなメリットもあったそう。そればかりか心に余裕が生まれ、やさしく人に接することができるようになったり、集中力が増して仕事が効率的になったなど、坐禅で得た結果をあげればきりがないのだといいます。

なにごとも初めは目的という欲があります。でも続けるうちにそれが消える。

そして無心に帰することが結果を生む、ということがあるのではないでしょうか。(147ページより)

もちろんそれは、仕事にもあてはまるはず。したがって、スティーブ・ジョブズのように坐禅を組んでみるというのもひとつの手段かもしれませんが、どうあれなんにしても「続ける」ことが結果につながっていくわけです。(147ページより)

「茶」の字が入った禅語のひとつに、「喫茶去(きっさこ)」があるそうです。昔馴なじみも初めて会う人も、偉い人もそうでない人も「お茶でもしない?」という意味。

現代にも通じる軽やかさを感じさせますが、そんな禅語を味わうことで、人生の荒波を乗り越えていってほしいと著者は記しています。

お茶を一服いただくような気持ちで接してみれば、気持が穏やかになるかもしれません。

Source: 東洋経済新報社

メディアジーン lifehacker
2022年11月21日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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