劇場は、想いが集まるところ『胡桃沢琥狐珀の浄演』シリーズ刊行によせて

エッセイ

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

想いが幕を下ろすまで 胡桃沢狐珀の浄演

『想いが幕を下ろすまで 胡桃沢狐珀の浄演』

著者
松澤 くれは [著]
出版社
集英社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784087445190
発売日
2023/04/20
価格
803円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

劇場は、想いが集まるところ『胡桃沢琥狐珀の浄演』シリーズ刊行によせて

[レビュアー] 松澤くれは(演出家、脚本家、作家)

劇場は、想いが集まるところ――『胡桃沢狐珀の浄演』シリーズ刊行によせて

 劇場と聞いて、あなたはどんなイメージを思い浮かべますか? 
 ゆったりとした客席に腰かけて赤い緞帳(どんちょう)が上がれば、広いステージに建つ豪華な舞台セットが現れる。まばゆい照明が俳優たちに降り注ぐ、非日常的な観劇体験を堪能するところ――そう考えると劇場は、日常生活から遠い空間に思われるかもしれません。いまや身の回りにあらゆる娯楽が溢れているなか、わざわざ何カ月も前にチケットを買って、スケジュールを空けて、定められた時刻に決められた場所へ行き、スマホもいじらず静かにお芝居を観る……まるで時代に逆行するような演劇というジャンルですが、人生で一度も劇場に行ったことのない方がいらっしゃる一方で、舞台の魅力に惹かれ、何度も足を運んでおられる方も多いはず。いったい劇場には何があるのでしょうか。
 演劇を二十年やってきて、ぼくは思います。劇場こそが私たちにとって一番身近な、ひとのリアルな想いを感じられる場所なのだと。
 お芝居とは、もちろんフィクションです。だけどステージに立つ俳優は、お客さんの目の前に存在しています。演技の際には本当に気持ちを動かしています。台本があろうと、フィクションだろうと、俳優の演技から生まれる想いに偽りはありません。ステージに立つ生身の人間が、その場でその瞬間、喜び、怒り、哀しみ、楽しむからこそ、目の前にいる観客は胸を打たれ、舞台の登場人物たちと一緒になって心動かされるのだと、ぼくは信じています。
 俳優はステージに立てば、演技を通して、想いというかたちのないものを届けることができますが、それは何も生きている俳優だけに限らないと思っています。死者もまた、自分の想いを誰かに知ってほしくて劇場にやってくるかもしれません。
 というのも、劇場って幽霊の目撃情報が多いんです。知り合いの俳優たちに「劇場での不思議な体験ってある? 」と聞いてみたところ、瞬く間にたくさんのエピソードが集まりました。自身が体験したもの、知り合いが遭遇したもの、噂として有名なもの、様々ですが、こんなにも劇場にまつわる逸話があることに驚きました。ぼくも劇場にいるとき何度も奇妙なことが起こり……って、怖い話が苦手な方、この文章を読むのをやめないで、もう少しお付き合いください。ぼくは何も、ホラーなトークをしたいわけではありません。どうして多くの劇場でそういった「怪談噺(ばなし)」が噂されるのか。ひとの想いというものは、生きているか死んでいるか、そんなことすら関係なく、等しく尊いものとして存在しているのだと思います。だとしたら死者だって、何かを語りたくて劇場にやってきてもおかしくありません。幽霊と聞けば怖いかもしれないけれど、私たちと同じ、心を持った身近な存在だと考えれば、親近感がわいてくる気がしませんか? 
 劇場にいるかもしれない、誰かの想いに耳をかたむける。そんな物語を描きたくて『胡桃沢狐珀の浄演』シリーズを立ち上げました。元気でポジティブな新人女優・志佐碧唯(しさあおい)が、陰のある落ちぶれた演出家・胡桃沢狐珀(くるみざわこはく)と出会うところから物語ははじまります。生きている俳優たちが、幽霊と一緒にアドリブ劇を演じる「浄演(じようえん)」を通して、碧唯たちは死者の想いを浄化していきます。ひとは死ねば肉体は滅びますが、消えずに残り続ける想いだってある。生者と死者がステージの上でセリフを交わし、気持ちを通わせていくことで浮かび上がる、語られなかった者たちのストーリー。劇場という不思議な空間ならば、演技のもつ特別な力を用いるならば、死者の言葉だって聞くことができる――そんな小説になりました。
 ぼくは高校生のときに演劇と出会い、演劇部での活動のほかに社会人劇団に出入りして、高校生劇団を立ち上げて演劇三昧の日々を過ごし、上京後は大学の演劇サークルを経て劇団を結成、ソロとしての活動も含めて今にいたるまで五十本をこえる脚本・演出を行いました。二十年にわたって演劇の世界で見てきたこと、経験したこと、考えたこと、そして想うこと、すべてを込めて書いていきます。これは志佐碧唯の成長と、胡桃沢狐珀の再生を描く物語。そして劇場という「想いの集まる場所」を舞台に、ひとの想いを掬(すく)いあげる物語。ぜひ本書をお手にとっていただき、最後まで一緒に見届けてもらえたら嬉しいです。

松澤くれは
まつざわ・くれは●演出家、脚本家、作家。演劇ユニット〈火遊び〉代表。
1986年富山県生まれ。早稲田大学第一文学部演劇映像専修卒業。人気小説の舞台化や、オリジナル作品を数多く手掛ける。2018年『りさ子のガチ恋・俳優沼』で作家デビュー。他の著書に『鴎外パイセン非リア文豪記』等。

青春と読書
2023年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

集英社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク