日常生活で感じる違和感、もしかして感覚過敏・感覚鈍麻かも?

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日常生活で感じる違和感、もしかして感覚過敏・感覚鈍麻かも?

[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)

カビンくんとドンマちゃん – 感覚過敏と感覚鈍麻の感じ方 –』(加藤路瑛 著、ワニブックス)の著者は、通信制高校の3年生。中学1年生の後半から不登校気味になり、2年生の秋からフリースクールに通うようになったのだそうです。

注目すべきは、不登校になった大きな原因が「感覚過敏」であったということ。

中学校に入学して日常にも慣れてきたころ、休み時間になると頭痛がするようになり、保健室に駆け込む機会が増えたのだといいます。保健室の先生から原因を問われて気づいたのは、クラスのみんなが賑やかに会話をし、甲高い笑い声が耳に入ってくると具合が悪くなること。

それを聞いた先生から「感覚過敏かもしれない」といわれ、自分が弱いわけではなかったのだと感じることができたというのです。そのことがわかったときには、あたかも体にまとわりついていた目に見えない重さから解放されたような気持ちだったと当時を振り返っています。

次のように主張しているのは、そんな経験があるからこそ。

感覚過敏は、多くの人によく知られている言葉や症状ではありません。

ですから、かつての私のように、自分のつらさの理由がわからずに自分を責めてしまう人や、自分の子どもが神経質すぎると悩んでいる保護者の方もいらっしゃると思います。

(「はじめに」より)

著者自身を投影した感覚過敏の中学生の男の子を主人公にした本書をつくったのも、そんな思いがあるからこそ。さらに、感覚過敏とは対照的に、寒さや痛みを感じにくい「感覚鈍麻」の女の子の感情や日常も描かれています。

つまり私たち読者はふたりの日常を通じ、感覚過敏や感覚鈍麻の人々がどんなことに困り、どんな悩みや葛藤を抱えながら生きているかを追体験することができるわけです。

その物語は実際に読んでいただくとして、ここでは解説部分に焦点を当ててみたいと思います。

感覚が「過敏」、感覚が「鈍麻」。それってどういうこと?

脳神経が刺激に反応する(刺激を認識する)最小の刺激量を「閾値(いきち)」といい、それには個人差があるそうです。

コップの大きさにたとえてみれば、感覚過敏の人が持っているコップの大きさは、平均的なコップよりも小さいようです(=閾値が低い)。そのため感じ取れる刺激の量に到達するのが早く、わずかに刺激に反応すると考えられるわけです。

一方、感覚鈍麻の人が持っているコップは平均よりも大きいため、感じ取れる量まで刺激の量がなかなか到達しづらいそう。したがって刺激を感じ取りにくい、つまり鈍感であると考えられるのです。

ただし、感覚過敏か感覚鈍麻かは、閾値だけによって決まるわけではありません。音の高さの違いの細かさや色の認識の細かさなど、目や耳、皮膚など「感覚器」の刺激の幅への感度の特性であるケースや、刺激を統合して処理する脳の特性である場合など、さまざまな理由が考えられます。(39ページより)

また、感覚が過敏すぎて刺激を処理しきれず、感覚鈍麻になってしまうケースもあるといいます。刺激に対応できず無反応になった結果、あたかも刺激を受けていない=感覚鈍麻のように見えてしまうわけです。

本書の物語に出てくるドンマちゃんも、平均的な人よりも閾値が大きいため感覚を感じにくい特性を持っています。そのため、空腹・満腹の感覚がわからなかったり、暑さや寒さ、痛さなどを感じにくかったりするのだといいます。

こうした特性のある人は、まわりの感覚に合わせて自分も同じように振る舞うことがあるといいます。また、環境や相手が変わるとうまく合わせることができず、人間関係に苦手意識を感じることもあるそうです。(38ページより)

私たちの「気持ち」と「感覚」はつながっている

私たちは、目から取り入れた視覚情報を脳で処理することで、対象物の大きさや距離、角度などを判断します。そのため対象物に近づいたり離れたり、ものを持ち上げて動かしたりできるわけです。また人と人との関係においては、関係性や状況を総合的に判断し、相手との間の物理的な距離を調整することも可能。

しかしその一方、あわててタンスの角に足の小指をぶつけてしまい、痛い思いをするというようなこともよくある話。それは、脳の注意機能を別のことに使っていて、周囲へ意識を向けられなかったからだと考えられるようです。

つまりはこのように、感覚面において過敏や鈍麻などの特性を自覚していない人であっても、状況次第では過敏や鈍麻のような状態になることがあるのです。

また、落ち込んだときに空腹を感じないというようなケースもあるでしょう。いわば感覚の感じ方(知覚)は、状況や体調によって揺れ動くものだということ。どこからどこまでが「正常」で、どこからが「過敏・鈍麻」であるかというような境界はないということです。

感覚自体に「いい/悪い」はないということ。そして社会で生活する上で、ある特性を持つ人が困り感を強く抱え、学校や会社に行けなかったり、人と会うことを苦手と感じたりする場合があるということを、私たちは知っておきたいですね。(47ページより)

本書の物語のなかでもドンマちゃんは、壁にぶつかったり、カビンくんに近づきすぎたりしてしまいます。感覚鈍麻の人は自分のボディイメージや対象物との距離をうまくつかむことができないから。

なにかにぶつかってしまったり、相手が想定している距離よりも近づきすぎたりしてしまうことがあるわけです。そのため、まわりや本人がそのことを知らない場合、人間関係でトラブルを抱えてしまうことにもなりかねません。

だからこそ、本人はもとより周囲の理解がとても重要な意味を持つのでしょう。(46ページより)

思春期の子を持つ親が、成長過程にある子どもの変化や反抗に悩むことは珍しくありません。しかし、もしもそれが感覚過敏や感覚鈍麻の影響だったとしたら? もちろん個性はひとりひとり異なるものではありますが、少なくとも、真摯に子どもと向き合うために本書を参考にしてみる価値はあるかもしれません。

Source: ワニブックス

メディアジーン lifehacker
2023年8月10日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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