『「深みのある人」がやっていること』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
年齢を重ねて「深みのある人」になるには、どうしたらいいのか?
[レビュアー] 印南敦史(作家、書評家)
相応の人生経験を積んできた人は、顔に「深み」が出てくるもの。たとえ多くを語らなかったとしても、表情自体が履歴書のような役割を果たすようになるため、それが人々からの尊敬につながったりするわけです。
では、どうすれば「深み」を獲得できるのか、そもそも人間の「深み」とはどういうものなのか。『「深みのある人」がやっていること』(齋藤 孝 著、朝日新書)において著者が考察しているのは、まさにその点です。
年齢を重ねるにつれ、若い頃のような体力を維持することは難しくなります。あるいは体力だけではなく、人の名前を思い出せなくなったり、ITの急速な進歩について行けなくなったり等々、脳の衰えも感じるようになります。
では人生の中盤以降が下り坂一辺倒なのかというと、けっしてそうではありません。なぜなら、むしろ年齢を重ねないとたどり着けない広大な“フロンティア”が残されているから。それが「深み」です。(「はじめにーー『深み』というフロンティア」より)
とはいえ自分に「深み」はあるのかと問われた場合、多くの方は「よくわからない」と答えるのではないでしょうか? そもそも「深み」はさほど自己評価の基準になっていなかったのですから、それは無理もない話。
ちなみに「深み」で評価される対象は、大きく2つに分かれると著者はいいます。
まず1つは「芸術、思想、学問などの文化」で、もう1つは「総合的な人間力」。とりわけ後者の価値は大きく、たとえば自分が知らなかった次元や角度で状況を分析してくれたり、経験や知識に基づいたアイデアを提供してくれたりしたら、その人に「深み」を感じることになるわけです。
しかも、深みをわかる力と、深みのある人間になることは連動しているもの。世の中にある「深み」の価値を理解しているからこそ、さりげない会話やビジネス上の判断などにおいても「深み」がにじみ出てくるということです。
日常的に「深み」について考える機会は決して多くないかもしれませんが、それはよりよく生きていくうえで無視できないものでもあるわけです。
でも、はたして「深海」は人間のどこに表れるものなのでしょうか? この点を確認するべく、第1章「人間の『深み』はどこに表れるのか」に焦点を当ててみたいと思います。
引き出しが多い=「深み」につながる
前述のとおり、「あの人には深みがある」という表現は多くの場合、ほめことばとして使われます。では、実際のところ「深い人」とはどういう人なのでしょう? 本書において著者が深掘りしているのはこの点。40歳代以上の200人を対象に、「人間の深みはどこに出ると思いますか?」というアンケート調査を行っているのです。
アンケートによって得られた回答のひとつが、「引き出しの多い人」だそう。たとえばなにか問題が起きた際、解決方法をいろいろ繰り出せる人は、たしかに「深い」と思えるのではないでしょうか?
ではどうすれば引き出しを増やせるのか、身も蓋もない言い方をすれば、それは人生経験を豊富にすること。さまざまな事例が頭に入っているから、どんな事態に直面しても、パターン的に捉えて「こうすればいい」と思いつけるわけです。(32〜33ページより)
つまり、引き出しの数を増やしていくことこそが「深み」のある人間になることに直結するわけです。そのためには、いくつもの修羅場を潜り抜けることも無駄にはならないはず。しかし同時に、自らなにかにチャレンジする経験も重要だと著者は述べています。
失敗や敗北のほうが、得られるものは多いでしょう。どこに敗因があったのかを検証することで、ならば次はこうしてみようという目処が立つ。その一つ一つが、貴重な引き出しになるわけです。(33ページより)
とはいえプロのスポーツなどとは違い、一般的な仕事の場合は勝敗がさほど明確に決まるわけではありません。むしろ、前例どおりにこなしていれば、なんとなく丸く収まることのほうが多いでしょう。
しかし、それでは引き出しが増えることはなく、深みも出ません。そこで、すべての仕事のうちの2割くらいは、あえてチャレンジしてリスクを取るように振り向けたほうがいいと著者はいいます。
結果的にうまくいかなかったとしても、その経験が引き出しとして蓄積できればプラスマイナスゼロ。それどころか将来の成功の布石になるとすれば、個人にとっても組織にとっても明らかにプラスです。しかもそれが「深みがある人」という評価につながる可能性は、決して小さくないのです。(32ページより)
謙虚でやさしい=「深み」につながる
「深み」は、しばしば人とのコミュニケーションの場で感じられるもの。アンケートの結果でも、「謙虚さ」や「やさしさ」にまつわる意見が比較的多かったそうです。
例えば、「自分に厳しく他人に優しい人」。だいたい世の中で嫌われる上司は、この逆です。自分に甘く部下に厳しく、パワハラしたり責任転嫁したりするパターン。こういう上司に「深み」を感じる部下は皆無でしょう。
かといって、自分に甘くて部下にも甘ければマネジメントになりません。また自分に厳しくて部下にも厳しい上司は、好みの分かれるところですが、今どきはあまり歓迎されないと思います。
部下と常に穏やかに接し、部下の失敗さえ受け入れてフォローしてくれるような上司が理想でしょう。その肚(はら)の据わり方が「深み」なのです。(42〜43ページより)
これに類する意見として、「立場の弱い人に対して居丈高にならない人」もあったそうです。たとえば店員さんに対して偉そうに振る舞ったりするような人は、側から見ていて気分のいいものではありません。
どれだけ肩書が立派だったとしても、それだけで幼稚な印象になってしまうからです。しかし逆にいえば、その部分に気をつけていれば、最低限の「深み」は確保できるということになります。
それから、「人の悪口をいわない人」ということも重要。誰もが教わることですが、実践し続けることはなかなか難しい。日常で文句のひとつも口にしたくなることは多いでしょうし、悪口と批判の区別が明確ではないという事情もあるからです。
仕事であれ世の中の出来事であれ、批判精神は社会人として不可欠でしょう。間違っていると思うことがあれば、意見を述べるのが筋です。ところがそれが、個人に対する悪口と受け取られることがよくあります。
また雑誌の記事やSNS等の発言にしても、私たちは大上段に構えた批判より、誰かに対する小さな悪口のほうに興味を持ちがちです。だからそういう発信が増えて、大きな問題が矮小化していく。こういう事例は少なくありません。(44ページより)
特定の人物への悪口(私憤)ではなく、大切なのは筋の通った意見として口に出すこと(公憤)。公の意識からの憤りと、私的な怒りとでは、人間としての格が大きく変わってくるわけです。それは、「深み」の表れ方にも影響するものではないでしょうか?(43ページより)
本書において著者が深掘りしているのは、これまであまり取り上げられることのなかった人間の「深み」。自分の「深み」に気づき、そこにさまざまな意味においてのポジティブな要素を見出すために、ぜひとも参考にしたいところです。
Source: 朝日新書