『藤井聡太の指は震えない』
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<書評>『藤井聡太の指は震えない』岡村淳司 著
[レビュアー] 谷川浩司(将棋十七世名人)
◆成長見届けた番記者の苦悩
いわゆる「藤井本」は既に100冊以上出ていて、かく申す私も執筆者の一人だが、その中にあって本書は異彩を放っている。
中日新聞で文芸志望から一転して将棋担当を命じられた著者が、藤井聡太を追い続けたドキュメンタリー。著者の目線で語られていて、将棋記者としての奮戦記の趣もある。8年前、著者が初めて会った藤井三段はどこにでもいる少年に見えた。だが、地元で取材を続ける中で、彼の現在を予感する出来事に度々遭遇するようになる。
例えば一年後、最年少棋士になった報告で、杉本昌隆師匠と中日新聞社を訪問したとき。役員の問いかけに対し、「考えるのが楽しい」「勝ち負けより最善手を探すことに集中します」と答えている。14歳にして盤上の真理を追究する心境に達し、それを貫いた結果の八冠達成に深い感慨を覚える。
藤井四段誕生と時を同じくして、アベマTVが彼の対局のほとんどを中継するようになった。それは、棋士だけでなく、記者の一挙手一投足が注目されることも意味する。的を外れた質問はすぐにインターネットで批判されてしまう。辛辣(しんらつ)な指摘のメールが届いたこともあったという。
公平中立に報道するか。大多数が知りたい情報に絞るか。一般ファンでも読める記事にするか。コアなファンに向けて専門的な内容にするか。報道に携わる人にとって、永遠のテーマと言える。
時を経て、著者も記事を書く現場記者から社内で原稿を見るデスクに変わる。6月の最年少名人達成は現地に行けなかった。スーパースターではあっても自分の子どものような年齢。喜びと共に、8年の間に手の届かない頂上にのぼりつめた相手に一抹の寂しさも感じたのではないか。
辛口の内容や、影の部分も略さずに記したことには正直驚いたが、書き残しておく使命がある、という報道人の矜持(きょうじ)であろう。
古くからの藤井ファンの方も、本書によって、藤井聡太について新たな発見があるかもしれない。
(中日新聞社・1540円)
1975年生まれ。中日新聞記者。前著は『頂へ 藤井聡太を生んだもの』。
◆もう1冊
『挑戦 常識のブレーキをはずせ』藤井聡太、山中伸弥著(講談社)